はじめに
「人前に出ると手のひらが汗でびっしょりになってしまう」「季節を問わず脇汗が止まらず、洋服のシミが気になる」「緊張すると顔から汗が吹き出してしまう」――このような悩みを抱えている方は少なくありません。
日常生活に支障をきたすほどの過剰な発汗を「多汗症」といいます。多汗症は単なる「汗かき」とは異なり、医学的な治療対象となる疾患です。近年、西洋医学的な治療法の進歩とともに、東洋医学である漢方治療への関心も高まっています。
本記事では、多汗症に対する漢方治療について、その考え方から具体的な処方まで詳しく解説していきます。多汗症でお悩みの方、漢方治療に興味のある方にとって、治療選択の一助となれば幸いです。

多汗症とは何か
多汗症の定義と分類
多汗症とは、体温調節に必要な量を超えて、日常生活に支障をきたすほど過剰に汗をかく状態を指します。発汗は本来、体温を調節するための重要な生理機能ですが、多汗症の患者さんでは、この機能が過剰に働いてしまうのです。
多汗症は大きく2つのタイプに分類されます。
原発性多汗症は、明らかな原因疾患がなく、特定の部位に過剰な発汗が見られる状態です。手のひら、足の裏、脇の下、顔面など、限局した部位に症状が現れることが多く、思春期前後から症状が始まることが一般的です。精神的緊張やストレスで悪化することが特徴で、睡眠中は発汗が見られません。
続発性多汗症は、何らかの疾患や薬剤の副作用として全身性の発汗が生じる状態です。甲状腺機能亢進症、糖尿病、更年期障害、感染症などの基礎疾患が原因となります。こちらは睡眠中にも発汗が見られることがあり、原疾患の治療が最優先となります。
多汗症の症状と日常生活への影響
多汗症の症状は発汗部位によって様々な困りごとを引き起こします。
手掌多汗症では、書類が濡れてしまう、パソコンのキーボードやマウスが使いにくい、握手ができないなど、仕事や社交場面で大きな支障をきたします。学生の場合、試験の答案用紙が濡れてしまうといった切実な問題もあります。
腋窩多汗症では、衣服に汗染みができてしまい、着る服の色や素材が限定されてしまいます。また、汗が皮膚の常在菌によって分解されることで、臭いの問題も生じやすくなります。
頭部・顔面多汗症では、化粧崩れが激しい、髪が濡れてしまうなど、外見への影響が大きく、精神的なストレスも相当なものになります。
足底多汗症では、靴の中が蒸れて不快感が強く、水虫などの皮膚トラブルを招きやすくなります。
このように多汗症は、患者さんのQOL(生活の質)を大きく低下させる疾患なのです。実際、多汗症患者さんの多くが、社会生活や対人関係において不安を感じており、うつ傾向を示すケースも少なくありません。
西洋医学における多汗症の診断と治療
西洋医学では、問診や発汗量の測定などによって多汗症の診断を行います。日本皮膚科学会のガイドラインでは、原発性局所多汗症の診断基準として、明らかな原因のない局所的な過剰発汗が6か月以上持続し、以下の6項目中2項目以上を満たすこととされています。
- 最初に症状が出るのが25歳以下
- 左右対称性の発汗
- 睡眠中は発汗が止まる
- 週1回以上の多汗エピソード
- 家族歴がある
- 局所的な発汗によって日常生活に支障をきたす
西洋医学的治療としては、以下のような選択肢があります。
外用療法では、塩化アルミニウム液の外用が第一選択となります。汗腺の導管を閉塞させることで発汗を抑制します。
内服療法では、抗コリン薬が使用されることがあります。発汗を促す神経伝達物質の働きを抑制しますが、口渇、便秘、尿閉などの副作用に注意が必要です。
ボツリヌス療法は、神経伝達物質の放出を抑制することで発汗を抑える治療法で、効果は数か月持続します。
イオントフォレーシスは、微弱電流を流した水に手足を浸すことで発汗を抑制する治療法です。
外科的治療として、交感神経遮断術(胸腔鏡下交感神経切除術)があり、手掌多汗症に対して高い効果が期待できますが、代償性発汗(他の部位からの発汗増加)などの副作用のリスクもあります。
これらの治療法にはそれぞれメリット・デメリットがあり、患者さんの症状や生活スタイル、希望に応じて選択されます。
漢方医学から見た多汗症
漢方医学の基本的な考え方
漢方医学は、中国で数千年の歴史を持つ伝統医学が日本で独自に発展したものです。西洋医学が病気の「原因」を追求し、それを取り除くことを目指すのに対し、漢方医学は人体全体のバランスを重視し、「証」と呼ばれる体質や状態に基づいて治療を行います。
漢方では、人体を構成する基本要素として「気・血・水」という概念があります。
気は生命エネルギーのようなもので、身体の機能を動かす原動力です。気が不足すると疲労感や無気力が生じ、気が滞ると痛みやイライラが生じます。
血は血液そのものだけでなく、栄養を全身に運ぶ働きも含みます。血が不足すると貧血症状や皮膚の乾燥が、血の流れが悪くなると冷えや痛みが生じます。
水は体液全般を指し、体内の水分代謝を表します。水の代謝が悪くなると、むくみや痰、そして今回のテーマである汗の異常が生じます。
多汗症は、この「水」の代謝異常として捉えられることが多いのですが、実際には気・血・水すべてのバランスが関係しています。
多汗症の漢方的病態理解
漢方医学において、多汗は主に以下のような病態として理解されます。
**気虚(ききょ)**は、気のエネルギーが不足している状態です。気には皮膚表面を守り、汗の出入りをコントロールする「衛気」という働きがあります。気虚によって衛気が弱まると、汗を留めておく力が低下し、自然と汗が漏れ出てしまいます。このタイプは、日中に安静時でも汗をかきやすく、疲れやすい、風邪をひきやすいといった特徴があります。
**陰虚(いんきょ)**は、体を潤す陰液が不足している状態です。陰液が減少すると、相対的に陽気(体を温める働き)が強くなり、体に熱がこもりやすくなります。この内熱によって汗が出てしまうのです。このタイプは、手足のほてり、口の渇き、寝汗などを伴うことが特徴です。
**湿熱(しつねつ)**は、体内に余分な湿気と熱が停滞している状態です。湿気が熱と結びつくことで、ベタベタとした粘性の高い汗が出ます。このタイプは、汗の臭いが強い、口が苦い、尿が濃いといった症状を伴います。
**肝気鬱結(かんきうっけつ)**は、ストレスなどによって肝の気が滞っている状態です。ストレスを感じると自律神経のバランスが乱れ、発汗が促進されます。このタイプは、緊張時の発汗が特に顕著で、イライラ、不安、胸の詰まり感などを伴います。
**心火旺盛(しんかおうせい)**は、精神的興奮や不安によって心(精神活動を司る臓)に熱が生じた状態です。緊張や不安が強いと、この心の熱が上昇し、特に顔面や頭部に汗をかきやすくなります。
実際の患者さんでは、これらの病態が複合的に存在していることが多く、詳細な問診と診察によって個々の「証」を見極めることが重要です。
体質診断(証の決定)の重要性
漢方治療では、同じ「多汗症」という病名であっても、患者さん一人ひとりの体質や症状パターンによって処方する漢方薬が異なります。これが「同病異治」という漢方の特徴です。
証の決定には、以下のような情報を総合的に判断します。
四診と呼ばれる診察法があります。望診(視覚的観察)では、顔色、舌の状態、体格などを観察します。聞診(聴覚・嗅覚的観察)では、声の調子や体臭などを確認します。問診では、汗のかき方の詳細、随伴症状、生活習慣などを詳しく聞き取ります。切診(触診)では、脈診や腹診を行います。
特に舌診は重要で、舌の色、形、苔の状態などから体内の状態を推測します。気虚では舌が淡白で歯痕がつきやすく、陰虚では舌が赤く苔が少なく、湿熱では舌苔が黄色く厚いといった特徴があります。
腹診も日本漢方の特徴的な診察法です。腹部を触診することで、気血水のバランスや各臓腑の状態を判断します。
これらの情報を総合し、患者さん個別の証を決定し、最適な漢方薬を選択します。
多汗症に用いられる主な漢方薬
補気剤:気を補う処方
黄耆建中湯(おうぎけんちゅうとう)
黄耆建中湯は、虚弱体質で疲れやすく、汗をかきやすい方に適した処方です。黄耆という生薬が主薬で、これには気を補い、表面(皮膚)を固めて汗の漏出を防ぐ「固表止汗」の働きがあります。また、膠飴(こうい)という糖分を含む生薬が胃腸を温め、全身の栄養状態を改善します。
この処方が適しているのは、日中に活動していなくても汗が出てしまう、少し動くとすぐに汗をかく、風邪をひきやすい、疲労感が強いといった症状がある方です。特に子どもの虚弱体質改善にも用いられることがあります。
補中益気湯(ほちゅうえっきとう)
補中益気湯は、気虚の代表的な処方で、「中気を補う」つまり胃腸機能を高めて全身の気を増やす働きがあります。黄耆、人参、白朮などの補気生薬が配合されています。
元気がない、疲れやすい、食欲不振、寝汗、発熱時の汗などの症状に用いられます。慢性疲労や病後の体力回復、夏バテなどにも広く使用されます。多汗症では、特に疲労に伴う発汗や、体力低下による寝汗などに効果が期待できます。
滋陰剤:陰を補う処方
当帰六黄湯(とうきろくおうとう)
当帰六黄湯は、陰虚による寝汗に対する代表的な処方です。6種類の「黄」の字がつく生薬(地黄、黄芩、黄柏、黄連、黄耆)と当帰で構成されています。
陰液を補いつつ、体内にこもった虚熱を冷ます働きがあります。寝汗が多い、手足のほてり、口が渇く、イライラしやすい、顔面紅潮などの症状がある方に適しています。特に更年期女性のホットフラッシュに伴う発汗にも用いられます。
比較的体力があり、実熱症状(熱感が強い、便秘気味など)がある方向けの処方です。
六味丸(ろくみがん)/八味地黄丸(はちみじおうがん)
六味丸は、腎陰虚(老化や慢性疲労による陰液不足)を改善する基本処方です。地黄を中心に、陰を補う生薬で構成されています。虚弱体質、疲れやすい、腰や膝がだるい、口渇、寝汗などに用いられます。
八味地黄丸は六味丸に附子と桂皮を加えたもので、陰虚に加えて陽虚(体を温める力の低下)もある場合に用います。高齢者の体力低下、頻尿、腰痛などにも広く使用されます。
清熱剤:熱を冷ます処方
白虎加人参湯(びゃっこかにんじんとう)
白虎加人参湯は、強い熱感と口渇を伴う発汗に用いる処方です。石膏という清熱作用の強い鉱物性生薬が主薬で、体内の余分な熱を冷まします。人参を配合することで、発汗による消耗を防ぎます。
高熱時の大量発汗、夏場の熱中症、糖尿病の口渇・多飲などに用いられます。多汗症では、暑がりで顔面紅潮し、冷たいものを好み、のどが渇いて水を大量に飲むような方に適しています。
比較的体力があり、実熱症状が顕著な方向けの処方です。
防已黄耆湯(ぼういおうぎとう)
防已黄耆湯は、水太りタイプで多汗、むくみやすい方に適した処方です。防已という生薬が余分な水分を除き、黄耆が表面を固めて汗の過剰な漏出を防ぎます。
色白で筋肉が柔らかく、水太り傾向、疲れやすい、膝関節痛、多汗などの症状がある方に用いられます。いわゆる「水太り」で汗かきの方の体質改善に効果が期待できます。
理気剤:気の巡りを改善する処方
柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)
柴胡加竜骨牡蛎湯は、ストレスや緊張による自律神経の乱れを整える処方です。柴胡が気の巡りを改善し、竜骨・牡蛎が精神を安定させます。
比較的体力があり、精神不安、不眠、イライラ、動悸、緊張時の発汗などがある方に適しています。神経症、不眠症、更年期障害などにも広く用いられます。多汗症では、特に精神的緊張や不安が引き金となって汗をかく方に効果的です。
加味逍遙散(かみしょうようさん)
加味逍遙散は、ストレスによる気の滞りを解消し、気血を巡らせる処方です。特に女性の心身症状に広く用いられます。
イライラ、不安、抑うつ、肩こり、疲れやすい、のぼせ、冷え、不眠などの症状がある方に適しています。更年期障害のホットフラッシュに伴う発汗にも効果が期待できます。自律神経のバランスを整えることで、精神的要因による発汗を改善します。
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)
半夏厚朴湯は、気の巡りを改善し、特に咽喉部の詰まり感(梅核気)を解消する処方です。半夏と厚朴が気の流れを良くし、精神的緊張を緩和します。
緊張すると喉が詰まる感じがする、不安感、抑うつ、動悸、緊張時の発汗などがある方に用いられます。神経性胃炎、気管支喘息、つわりなどにも使用されます。
複合的な処方
桂枝加黄耆湯(けいしかおうぎとう)
桂枝加黄耆湯は、桂枝湯という基本処方に黄耆を加えたもので、体表の防御力を高めて汗の調節機能を改善します。
虚弱体質で汗をかきやすく、風邪をひきやすい、疲れやすいといった症状がある方に適しています。特に上半身に汗をかきやすい方に用いられることがあります。
小建中湯(しょうけんちゅうとう)
小建中湯は、胃腸虚弱で疲れやすい方の体質改善に用いる基本処方です。膠飴が主薬で、胃腸を温めて全身の栄養状態を改善します。
子どもの虚弱体質、夜尿症、腹痛などに広く用いられます。多汗症では、虚弱体質に伴う発汗異常の改善が期待できます。
症状・体質別の漢方薬選択
日中の汗が多いタイプ
安静にしていても汗が出る、少し動くと大量に汗をかくという方は、気虚タイプが多いと考えられます。
第一選択:黄耆建中湯、桂枝加黄耆湯 これらは気を補い、表面を固めて汗の漏出を防ぐ効果があります。
併用を考慮:補中益気湯 全身の気を増やすことで、根本的な体質改善を図ります。
疲労感が強い場合は補中益気湯を優先し、皮膚表面の防御力低下が主体の場合は黄耆建中湯を優先します。
寝汗が多いタイプ
就寝中に大量に汗をかき、目が覚めてしまうという方は、陰虚タイプが疑われます。
第一選択:当帰六黄湯 寝汗に対する特効薬的な位置づけの処方です。
代替・併用:六味丸、八味地黄丸 体力や年齢、随伴症状によって選択します。
手足のほてり、口の渇きが強い場合は当帰六黄湯が適し、全身の虚弱が目立つ場合は六味丸や八味地黄丸を考慮します。
精神性発汗が主体のタイプ
緊張やストレスで汗が出る、人前に出ると汗が止まらないという方は、肝気鬱結や心火旺盛が考えられます。
第一選択:柴胡加竜骨牡蛎湯 体力があり、イライラや不安が強い方に適しています。
代替:加味逍遙散 女性で、イライラに加えて疲労感や冷えもある方に適しています。
代替:半夏厚朴湯 緊張時の咽喉部違和感を伴う方に適しています。
手掌・足底多汗症のタイプ
手のひらや足の裏に限局した多汗がある場合、湿熱や肝気鬱結が関与していることがあります。
選択肢:柴胡加竜骨牡蛎湯、加味逍遙散 精神的緊張が主因の場合に効果的です。
選択肢:黄連解毒湯 熱感が強く、イライラしやすい実証タイプに用います。
更年期に伴う発汗のタイプ
更年期のホットフラッシュに伴う発汗は、ホルモンバランスの変化による陰虚や気血の乱れが原因と考えられます。
第一選択:当帰六黄湯 のぼせとともに汗をかく症状に適しています。
代替・併用:加味逍遙散 イライラや不安感が強い場合に適しています。
代替:桂枝茯苓丸 のぼせと下半身の冷えがある「冷えのぼせ」タイプに用います。
肥満傾向で汗が多いタイプ
水太りで汗かき、むくみやすいという方は、水毒や湿熱が考えられます。
第一選択:防已黄耆湯 色白で筋肉が柔らかい水太りタイプに最適です。
代替:防風通聖散 がっちりした肥満で、便秘傾向がある方に適しています。
漢方薬の服用方法と注意点
基本的な服用方法
漢方薬には、煎じ薬(生薬を煎じて作る)とエキス剤(粉末や顆粒、錠剤)があります。現在、医療機関で処方されるのはほとんどがエキス剤です。
服用タイミング 一般的には食前または食間(食後2時間程度)の空腹時に服用します。これは、空腹時の方が吸収が良く、効果が発揮されやすいためです。ただし、胃腸が弱い方は食後でも構いません。
服用方法 お湯に溶かして飲むのが理想的です。温かいお湯に漢方薬を溶かし、香りを楽しみながら飲むことで、効果が高まるとされています。ただし、飲みにくい場合は水や白湯で服用しても問題ありません。オブラートに包んだり、カプセルに入れたりする方法もあります。
効果が現れるまでの期間
漢方薬の効果発現は、症状や処方によって異なります。
急性症状(風邪など)では数日で効果が現れることもありますが、慢性的な多汗症の体質改善には、通常2週間から1か月程度かかることが多いです。十分な効果が得られるまでには、2〜3か月継続することが推奨されます。
漢方治療は「じっくりと体質を改善する」治療法なので、根気強く続けることが大切です。ただし、2〜3か月服用しても全く効果が感じられない場合は、処方が合っていない可能性があるため、医師に相談しましょう。
副作用と注意すべき症状
漢方薬は一般的に副作用が少ないとされますが、全くないわけではありません。
消化器症状 胃部不快感、吐き気、下痢、食欲不振などが生じることがあります。これらの症状が強い場合は、服用のタイミングを変えたり、量を調整したりすることで改善することがあります。
アレルギー反応 発疹、かゆみなどのアレルギー症状が出ることがあります。生薬に対するアレルギーの可能性があるため、症状が出た場合はすぐに服用を中止し、医師に相談してください。
甘草による副作用 多くの漢方薬に含まれる甘草という生薬は、長期大量服用で「偽アルドステロン症」を引き起こすことがあります。むくみ、血圧上昇、筋力低下、脱力感などの症状が出た場合は、すぐに医師に相談してください。
肝機能障害 まれに肝機能障害が報告されています。定期的に血液検査を受けることが推奨される場合があります。
他の薬との併用
漢方薬は西洋医学の薬と併用できることが多いですが、注意が必要な組み合わせもあります。
複数の漢方薬を服用する場合、同じ生薬が重複し、特定成分の過剰摂取になる可能性があります。特に甘草を含む処方を複数服用する際は注意が必要です。
西洋薬との相互作用もあり得ます。例えば、ワーファリンという抗凝固薬と一部の漢方薬は相互作用を起こす可能性があります。
現在服用中の薬がある場合は、必ず医師や薬剤師に伝えてください。
妊娠・授乳中の服用
妊娠中や授乳中の漢方薬服用については、慎重な判断が必要です。
一部の漢方薬は妊娠中の使用が禁忌とされています。特に、桃仁、紅花、牛膝、大黄などの生薬を含む処方は、子宮収縮作用があるため避けるべきとされています。
多汗症に用いる処方では、柴胡加竜骨牡蛎湯、加味逍遙散などは比較的安全に使用できるとされていますが、必ず医師に相談してから服用してください。
授乳中も、一部の生薬成分が母乳に移行する可能性があるため、医師との相談が必要です。

漢方治療を受けるには
漢方専門医と一般医療機関
漢方治療は、以下のような医療機関で受けることができます。
漢方専門外来 大学病院や総合病院に設置されている漢方専門外来では、漢方専門医による詳細な診察と処方が受けられます。日本東洋医学会の専門医・指導医が在籍していることが多く、複雑な症例にも対応可能です。
皮膚科・内科などの一般診療科 多くの皮膚科や内科でも漢方薬が処方されています。多汗症の場合、まず皮膚科を受診し、西洋医学的治療とともに漢方治療の相談をするのが一般的です。
漢方薬局 薬剤師が常駐する漢方薬局では、煎じ薬を含めた幅広い選択肢から処方してもらえます。ただし、保険適用外となるため、費用は高くなります。
保険診療と自費診療
医療機関で処方される医療用漢方製剤(エキス剤)は、保険適用となります。3割負担の場合、1か月分の薬代は数百円から2000円程度が一般的です。
一方、漢方薬局で調剤される煎じ薬は自費診療となり、1か月分で5000円から15000円程度かかることが多いです。ただし、煎じ薬の方が個別の症状に細かく対応できるメリットがあります。
初診時の準備と問診内容
漢方治療を受ける際は、以下の情報を整理しておくと診察がスムーズです。
多汗の詳細
- どの部位に汗をかくか
- いつから症状があるか
- どのような状況で汗が出るか(安静時、運動時、緊張時など)
- 1日のうちで汗が多い時間帯
- 睡眠中の発汗の有無
随伴症状
- 疲労感、倦怠感
- 冷えやのぼせ
- 食欲、消化状態
- 睡眠の質
- 精神状態(イライラ、不安など)
- その他の気になる症状
生活習慣
- 食事内容
- 運動習慣
- ストレスの有無
- 睡眠時間
既往歴と現病歴
- 過去の病気
- 現在治療中の病気
- 服用中の薬やサプリメント
- アレルギーの有無
これらの情報を詳しく伝えることで、より適切な処方選択が可能になります。
漢方治療の効果を高めるために
生活習慣の改善
漢方治療の効果を最大限に引き出すには、生活習慣の改善が不可欠です。
食生活の見直し
- バランスの良い食事を心がける
- 冷たいものの過剰摂取を避ける
- 辛いものや刺激物を控えめにする
- 規則正しい食事時間を守る
- 暴飲暴食を避ける
睡眠の質の向上
- 規則正しい睡眠リズムを作る
- 十分な睡眠時間を確保する
- 就寝前のスマートフォンやパソコンの使用を控える
- 寝室の環境を整える(温度、湿度、遮光など)
ストレス管理
- 適度な運動習慣をつける
- リラクゼーション法を取り入れる(深呼吸、瞑想など)
- 趣味の時間を持つ
- 人間関係のストレスを軽減する工夫をする
適度な運動
- 有酸素運動を定期的に行う
- 汗をかく習慣をつけることで発汗機能を正常化
- 無理のない範囲で継続する
発汗トレーニング
多汗症の方は、逆に適度に汗をかく訓練をすることで、発汗機能の正常化を図ることができます。
半身浴 38〜40度程度のぬるめのお湯で、20〜30分程度ゆっくりと半身浴をすることで、自律神経のバランスが整い、発汗機能が改善されることがあります。
有酸素運動 ウォーキングやジョギングなど、軽い有酸素運動で適度に汗をかくことは、体温調節機能の改善につながります。
心理的アプローチ
多汗症は「汗をかくことへの不安」が、さらに発汗を促進するという悪循環に陥りやすい疾患です。
認知行動療法的アプローチ 「汗をかくことは恥ずかしいことではない」「多くの人は他人の汗をそれほど気にしていない」といった認知の変容を図ることで、精神的緊張が緩和されることがあります。
マインドフルネス 現在の瞬間に意識を向け、不安や心配から距離を置く練習をすることで、緊張性の発汗が軽減される可能性があります。
専門家のサポート 症状が重く、日常生活に大きな支障がある場合は、心療内科や精神科の受診も検討しましょう。
西洋医学と漢方医学の併用
両者の特徴と補完関係
西洋医学と漢方医学は、それぞれ異なるアプローチで多汗症に対処します。両者を併用することで、相乗効果が期待できる場合があります。
西洋医学の強み
- 局所的な発汗抑制効果が強い
- 効果発現が比較的早い
- エビデンスが豊富
- 重症例への対応が可能
漢方医学の強み
- 全身的な体質改善が可能
- 副作用が比較的少ない
- 精神的要因への対応が得意
- 個別化された治療が可能
併用治療の実際
実際の臨床では、以下のような併用パターンがあります。
パターン1:外用薬+漢方内服 塩化アルミニウム液などの外用薬で局所の発汗を抑制しつつ、漢方薬で全身の体質改善を図る方法です。即効性と根本治療の両立が期待できます。
パターン2:抗コリン薬+漢方薬 抗コリン薬の副作用(口渇、便秘など)を漢方薬で緩和しながら、発汗抑制効果を高める方法です。
パターン3:段階的治療 まず西洋医学的治療で症状をコントロールし、その後漢方薬に切り替えて体質改善を図る方法です。
併用する際は、必ず医師に相談し、薬の相互作用や重複投与に注意しましょう。
多汗症治療の今後の展望
新しい治療法の開発
多汗症治療の分野では、近年様々な新しい治療法が開発されています。
ボツリヌス毒素注射は従来から行われていますが、より長期持続型の製剤や、痛みの少ない注入方法の研究が進んでいます。
マイクロ波治療装置による汗腺の破壊も、侵襲が少ない治療法として注目されています。
漢方の分野でも、生薬の有効成分の科学的解明が進み、より効果的な処方の開発や、作用機序の解明が期待されています。
統合医療としてのアプローチ
今後は、西洋医学と東洋医学を統合した、個々の患者さんに最適な治療法を選択する「統合医療」の考え方が重要になるでしょう。
多汗症という一つの症状に対しても、局所療法、全身療法、心理療法など、多角的なアプローチを組み合わせることで、より高い治療効果が期待できます。
漢方医学の「証」に基づく個別化医療の考え方は、現代医学における「精密医療」「個別化医療」の概念とも通じるものがあり、今後さらに融合が進むと考えられます。
まとめ
多汗症は、日常生活に大きな支障をきたす疾患であり、決して「単なる汗かき」と軽視すべきものではありません。西洋医学的治療法の進歩とともに、漢方治療という選択肢も有効な手段となります。
漢方医学では、多汗症を「気・血・水」のバランスの乱れとして捉え、患者さん一人ひとりの体質や症状パターンに応じた個別化治療を行います。気虚、陰虚、湿熱、肝気鬱結など、様々な病態に対応した多彩な処方があり、それぞれの証に合った漢方薬を選択することが重要です。
漢方治療の特徴は、症状を抑えるだけでなく、根本的な体質改善を目指すことにあります。効果発現までに時間がかかることもありますが、根気強く継続することで、副作用が少なく、全身的な健康状態の向上も期待できます。
また、西洋医学的治療と漢方治療は対立するものではなく、むしろ相互に補完し合う関係にあります。両者を適切に組み合わせることで、より効果的な治療が可能になります。
多汗症でお悩みの方は、一人で抱え込まず、まず専門医に相談することが大切です。適切な診断のもと、あなたに最適な治療法を見つけることで、QOLの向上が期待できます。
漢方治療に興味がある方は、漢方専門医や漢方に詳しい医師に相談してみてください。あなたの体質や症状に合った漢方薬が、多汗症の改善に役立つかもしれません。
参考文献
- 日本皮膚科学会「原発性局所多汗症診療ガイドライン」 https://www.dermatol.or.jp/modules/guideline/index.php?content_id=3
- 日本東洋医学会「漢方医学の基礎知識」 https://www.jsom.or.jp/
- 厚生労働省「eヘルスネット – 多汗症」 https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/
- 日本発汗学会「多汗症に関する情報」 https://www.sweating.jp/
- 日本臨床皮膚科医会「皮膚疾患情報 – 多汗症」 https://jocd.org/
監修者医師
高桑 康太 医師
略歴
- 2009年 東京大学医学部医学科卒業
- 2009年 東京逓信病院勤務
- 2012年 東京警察病院勤務
- 2012年 東京大学医学部附属病院勤務
- 2019年 当院治療責任者就任
佐藤 昌樹 医師
保有資格
日本整形外科学会整形外科専門医
略歴
- 2010年 筑波大学医学専門学群医学類卒業
- 2012年 東京大学医学部付属病院勤務
- 2012年 東京逓信病院勤務
- 2013年 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院勤務
- 2015年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院勤務を経て当院勤務