はじめに
レックリングハウゼン病という名前を聞いたことがあるでしょうか。正式には「神経線維腫症1型(Neurofibromatosis type 1: NF1)」と呼ばれるこの病気は、皮膚にカフェ・オ・レ色のシミや腫瘍ができることで知られる遺伝性の疾患です。
日本では約4万人の患者さんがいると推定されており、出生約3,000人に1人の割合で発症する比較的まれな病気です。しかし、適切な理解と医療サポートがあれば、多くの患者さんが日常生活を送ることができる病気でもあります。
本記事では、レックリングハウゼン病について、症状から最新の治療法まで、一般の方にもわかりやすく詳しく解説いたします。正確な情報を知ることで、患者さんやご家族の不安を少しでも軽減し、適切な医療を受けるお手伝いができれば幸いです。
※本記事は医学的情報を提供するものであり、個別の診断や治療については必ず医師にご相談ください。
レックリングハウゼン病の歴史と名前の由来
レックリングハウゼン病という名前は、1882年にドイツの病理学者フリードリヒ・ダニエル・フォン・レックリングハウゼン(Friedrich Daniel von Recklinghausen)氏によって初めて学術的に報告されたことに由来します。
当時、レックリングハウゼン氏は皮膚に現れる特徴的な病変を詳細に観察し、この病気の存在を医学界に知らしめました。現在でも彼の名前を冠して「レックリングハウゼン病」と呼ばれていますが、医学的には「神経線維腫症1型(NF1)」という名称が正式に使われています。
この病気は長い間、その原因や詳しいメカニズムが不明でした。しかし、20世紀後半の遺伝学の発展により、1990年に原因となる遺伝子(NF1遺伝子)が発見され、病気の理解が大きく進歩しました。現在では、遺伝子レベルでの診断も可能になり、治療法の開発も進んでいます。
病気の基本的な特徴
遺伝形式と発症頻度
レックリングハウゼン病は、常染色体優性遺伝という形式で遺伝します。これは、両親のどちらか一方が病気の遺伝子を持っていれば、50%の確率でその子どもに遺伝する可能性があることを意味します。
ただし、興味深いことに、患者さんの約半数は両親から遺伝したものではなく、新たに遺伝子の変異が生じた「新生突然変異」によるものです。つまり、家族歴がなくても発症する可能性があります。
主な症状の概要
レックリングハウゼン病は「全身性母斑症」とも呼ばれ、体のさまざまな部位に症状が現れます。主な症状は以下の通りです:
皮膚症状
- カフェ・オ・レ斑(ミルクコーヒー色のしみ)
- 雀卵斑様色素斑(そばかす様のしみ)
- 神経線維腫(皮膚や皮下の柔らかい腫瘤)
その他の症状
- 骨の異常(脛骨の弯曲、偽関節など)
- 眼の病変(虹彩小結節など)
- 神経系の異常(学習障害、視神経膠腫など)
症状の程度や現れ方には非常に大きな個人差があり、同じ家族内でも全く異なる症状を示すことがあります。
詳しい症状について
カフェ・オ・レ斑
カフェ・オ・レ斑は、レックリングハウゼン病の最も特徴的な症状の一つです。名前の通り、ミルクコーヒー色(薄い茶色)のしみのような色素沈着で、通常は生まれてすぐから乳幼児期に現れます。
特徴:
- 形は楕円形で、境界がはっきりしている
- 大きさは様々で、直径数ミリから十数センチまで
- 体のどこにでもできる可能性がある
- 思春期前では最大径5mm以上のものが6個以上、思春期以降では最大径15mm以上のものが6個以上あると診断の手がかりとなる
カフェ・オ・レ斑自体は痛みやかゆみなどの症状はなく、健康上の問題を直接引き起こすことはありません。しかし、見た目の問題で悩まれる患者さんも多く、患者さんの心理的な支援も重要な治療の一部となります。
雀卵斑様色素斑
これは、一般的な「そばかす」に似ていますが、できる場所に特徴があります。通常のそばかすは日光に当たる顔や腕などにできますが、雀卵斑様色素斑は、わきの下、首、そけい部(足の付け根)など、日光があたりにくい間擦部にできます。
特徴:
- 1〜3歳頃から現れることが多い
- 小さな茶色の点状の色素斑
- 通常は数ミリ程度の大きさ
- 摩擦の起きやすい部位に多発する
この症状も痛みなどはありませんが、レックリングハウゼン病の重要な診断指標の一つとなります。
神経線維腫
神経線維腫は、神経の周りに形成される良性の腫瘤です。この症状は通常、思春期頃から現れ始め、年齢とともに数や大きさが増加する傾向があります。
種類:
- 皮膚神経線維腫
- 皮膚の表面近くにできる小さな腫瘤
- 通常は数ミリから1センチ程度
- 柔らかく、指で押すとへこむことがある
- 痛みはないことが多い
- 皮下神経線維腫
- 皮膚の下の深い部分にできる腫瘤
- 比較的大きくなることがある
- 神経に沿って成長するため、痛みを伴うことがある
- 叢状神経線維腫
- 神経の束(神経叢)に沿って広範囲に広がる腫瘤
- 生まれつき存在することが多い
- 時間とともに大きくなる可能性がある
- 機能障害や変形を引き起こすことがある
- 悪性化のリスクがある
骨の異常
レックリングハウゼン病では、骨にも様々な異常が現れることがあります。
主な骨病変:
- 脛骨異形成症: すねの骨(脛骨)が弯曲したり、偽関節(骨がつながらない状態)を形成したりする
- 蝶形骨異形成: 頭蓋骨の一部である蝶形骨の形が異常になる
- 側弯症: 背骨が横方向に弯曲する
- 骨密度の低下: 骨粗鬆症のリスクが高くなる
これらの骨病変は、日常生活に大きな影響を与える可能性があるため、定期的な検査と適切な治療が重要です。
眼の病変
眼にも特徴的な病変が現れることがあります。
主な眼病変:
- 虹彩小結節(Lisch結節): 眼の虹彩(茶目の部分)にできる小さな結節
- 視神経膠腫: 視神経にできる腫瘤
- 脈絡膜の異常: 眼の奥の血管層に現れる異常
これらの病変は通常、視力に大きな影響を与えることは少ないですが、定期的な眼科検査が推奨されます。
神経系の症状
レックリングハウゼン病では、中枢神経系にも様々な影響が現れることがあります。
学習・発達への影響:
- 学習障害: 特定の学習分野で困難を示すことがある
- 注意欠如多動症(ADHD): 注意力の問題や多動性が見られることがある
- 自閉スペクトラム症: 社会性やコミュニケーションの困難が見られることがある
- 知的発達の遅れ: 一部の患者さんで軽度の知的障害が見られることがある
これらの症状は個人差が大きく、適切な教育的支援や医療的サポートにより、多くの患者さんが自立した生活を送っています。
中枢神経系腫瘍:
- 視神経膠腫: 視神経にできる良性腫瘍
- 脳幹膠腫: 脳幹部にできる腫瘍
- その他の神経膠腫: 脳や脊髄の様々な部位に発生する可能性
これらの腫瘍の多くは良性で、進行が遅いことが特徴です。
病気の原因とメカニズム
NF1遺伝子の役割
レックリングハウゼン病の原因は、17番染色体長腕(17q11.2)に位置するNF1遺伝子の変異です。この遺伝子は、「ニューロフィブロミン」というタンパク質の設計図となる遺伝子です。
ニューロフィブロミンは、細胞の増殖をコントロールする重要な役割を果たしています。具体的には、「RAS(ラス)」と呼ばれる細胞内のシグナル伝達分子を制御し、必要のない時に細胞が過度に増殖することを防いでいます。
細胞レベルでの病気のメカニズム
正常な細胞では、ニューロフィブロミンがRASタンパク質の働きを適切に制御しています。RASは細胞の増殖や分化に関わる重要な「スイッチ」のような役割を果たしており、通常は必要な時だけ「オン」になり、不要な時は「オフ」になります。
しかし、NF1遺伝子に変異があると、ニューロフィブロミンが正常に作られなくなり、RASが常に「オン」の状態になってしまいます。この結果、細胞が制御されずに増殖し続けることになり、神経線維腫や他の病変が形成されるのです。
RAS/MAPK経路とPI3K/AKT経路
近年の研究により、レックリングハウゼン病では主に2つの細胞内シグナル伝達経路が異常に活性化されていることがわかっています:
- RAS/MAPK経路: 細胞増殖や分化を制御する経路
- PI3K/AKT経路: 細胞の生存や代謝を制御する経路
これらの経路の異常な活性化が、レックリングハウゼン病の多様な症状を引き起こす根本的な原因と考えられています。この理解により、これらの経路を標的とした新しい治療法の開発が進められています。
診断について
臨床診断基準
レックリングハウゼン病の診断は、主に臨床症状に基づいて行われます。以下の7つの診断基準のうち、2つ以上を満たす場合に診断が確定されます:
A群(主要診断基準):
- 思春期前では最大径5mm以上、思春期以降では最大径15mm以上のカフェ・オ・レ斑が6個以上
- 神経線維腫が種類を問わず2個以上、または叢状神経線維腫が1個
- 間擦部(わきの下、首、そけい部)の雀卵斑様色素斑
- 視神経膠腫
- 虹彩小結節(Lisch結節)が2個以上、または脈絡膜の異常が2個以上
- 蝶形骨異形成や脛骨の特徴的な異形成
- 第一度近親者(両親、兄弟姉妹、子ども)にNF1の患者がいる
B群(遺伝学的診断基準): NF1遺伝子の病因となる変異が同定された場合
遺伝子検査
現在では、血液検査によってNF1遺伝子の変異を調べることができます。遺伝子検査は以下の場合に特に有用です:
- 臨床症状が軽微で診断が困難な場合
- 家族計画を立てる際の遺伝カウンセリング
- 早期診断による適切な医療管理の開始
- 他の類似疾患との鑑別診断
ただし、遺伝子検査には時間とコストがかかることもあり、必ずしもすべての患者さんに必要というわけではありません。臨床症状で診断が明確な場合は、遺伝子検査を行わないこともあります。
画像検査
病気の評価や経過観察のために、様々な画像検査が行われます:
MRI検査:
- 脳内の神経膠腫や叢状神経線維腫の評価
- UBO(Unidentified Bright Objects)と呼ばれる脳内の明るい病変の検出
CT検査:
- 骨の異常の詳細な評価
- 胸部や腹部の病変の検索
X線検査:
- 骨の変形や異常の基本的な評価
- 側弯症の程度の評価
治療について
従来の治療法
レックリングハウゼン病は、これまで根本的な治療法がない病気とされてきました。そのため、治療は主に症状に対する対症療法が中心でした。
外科的治療:
- 神経線維腫の摘出手術: 美容上の問題や機能障害を引き起こす神経線維腫に対して行われます
- 骨の手術: 脛骨異形成症や側弯症に対する整形外科的手術
- 眼科手術: 視神経膠腫に対する手術(必要な場合)
対症療法:
- 疼痛管理: 神経線維腫による痛みに対する薬物療法
- 学習支援: 学習障害に対する教育的サポート
- リハビリテーション: 運動機能障害に対する理学療法
定期検査:
- 年1〜2回の定期受診による経過観察
- 必要に応じた各種検査(MRI、CT、眼科検査など)
- 悪性化の早期発見を目的とした監視
最新の治療法:セルメチニブ
2022年、レックリングハウゼン病の治療において画期的な進歩がありました。セルメチニブ(商品名:コセルゴ®)という薬剤が、叢状神経線維腫を有する小児(3〜18歳)の治療薬として日本で承認されたのです。
セルメチニブの作用機序: セルメチニブは「MEK阻害薬」と呼ばれる分子標的薬です。前述したRAS/MAPK経路において、MEKというタンパク質の働きを阻害することで、細胞の異常な増殖を抑制します。
具体的には:
- NF1遺伝子の変異により、RASが常に活性化された状態になる
- 活性化されたRASが、MEKというタンパク質を活性化する
- セルメチニブがMEKの働きを阻害する
- 細胞増殖のシグナルが遮断され、腫瘍の成長が抑制される
治療効果: 海外で行われた臨床試験(SPRINT試験)では、非常に良好な結果が報告されています:
- 70%以上の患者さんで神経線維腫の体積が20%以上減少
- 体積が20%以上増加した患者さんは0%
- 多くの患者さんで疼痛の軽減や機能改善が認められた
副作用について: セルメチニブは比較的安全性の高い薬剤とされていますが、いくつかの副作用が報告されています:
- 消化器症状: 吐き気、下痢、食欲不振(数%の患者さん)
- 皮膚症状: 爪郭炎(爪の付け根の炎症)、にきび様発疹
- その他: 疲労感、頭痛
これらの副作用の多くは軽度で、服薬を中止すると改善します。また、副作用が出現した場合でも、薬剤の用量を調整することで治療を継続できることが多いです。
治療対象: 現在、セルメチニブは以下の条件を満たす患者さんに適応されます:
- 3〜18歳の小児
- 症候性の叢状神経線維腫を有する
- 外科的切除が困難または不適切
- 悪性化していない
その他の新しい治療アプローチ
セルメチニブ以外にも、レックリングハウゼン病に対する新しい治療法の研究が世界中で進められています:
他のMEK阻害薬:
- トラメチニブ
- ビニメチニブ
その他の分子標的薬:
- mTOR阻害薬
- ERK阻害薬
- 免疫療法薬
遺伝子治療: 将来的には、遺伝子治療による根本的な治療の可能性も研究されています。
合併症と注意すべき病変
悪性末梢神経鞘腫瘍
レックリングハウゼン病の患者さんで最も注意しなければならない合併症は、悪性末梢神経鞘腫瘍(MPNST)です。これは、良性の神経線維腫が悪性化したもので、一般の方と比べて数百倍のリスクがあります。
特徴:
- 生涯発症リスクは約10〜15%
- 通常は叢状神経線維腫から発生する
- 20〜40歳代での発症が多い
- 予後は比較的厳しい
早期発見のポイント:
- 既存の神経線維腫が急速に大きくなる
- 痛みが新たに出現したり、強くなったりする
- 神経症状(しびれ、麻痺など)が現れる
- 発熱や体重減少などの全身症状
これらの症状が現れた場合は、速やかに医師に相談することが重要です。
その他の合併症
内分泌系の異常:
- 褐色細胞腫:副腎にできる腫瘍で、高血圧の原因となることがある
- 成長ホルモン分泌異常:身長の異常(高身長または低身長)
消化器系の異常:
- 消化管間質腫瘍(GIST):消化管にできる腫瘍
- 便秘や下痢などの消化器症状
血管系の異常:
- 腎動脈狭窄:腎臓の血管が狭くなり、高血圧の原因となる
- 脳血管異常:脳梗塞や脳出血のリスクが高くなる
呼吸器系の異常:
- 肺嚢胞:肺に空洞ができる
- 呼吸機能の低下
診療科の連携と医療チーム
レックリングハウゼン病は全身に多様な症状が現れるため、複数の診療科による連携した治療が必要です。
主要な関連診療科
皮膚科:
- 皮膚症状の診断と治療
- 神経線維腫の管理
- 病気全体のコーディネート役
小児科または内科:
- 全身管理
- 成長・発達の評価
- 内分泌系の管理
整形外科:
- 骨病変の診断と治療
- 側弯症の管理
- リハビリテーションの指導
眼科:
- 眼病変の評価と治療
- 定期的な視機能検査
脳神経外科:
- 脳腫瘍の診断と治療
- 神経症状の評価
形成外科:
- 神経線維腫の美容的改善
- 機能的再建手術
精神科・心療内科:
- 学習障害や発達障害への対応
- 心理的サポート
チーム医療の重要性
多くの医療機関では、レックリングハウゼン病に対する「アドバイザリーボード」や「カンファレンス」を設置し、複数の専門医が連携して治療方針を決定しています。これにより、患者さん一人ひとりの症状や生活状況に応じた最適な治療計画を立てることができます。
患者さんとご家族へのアドバイス
定期受診の重要性
レックリングハウゼン病は生涯にわたって経過観察が必要な病気です。症状の変化や新たな合併症の早期発見のために、定期的な受診が非常に重要です。
推奨される受診頻度:
- 小児期: 6ヶ月〜1年に1回
- 成人期: 1〜2年に1回
- 症状の変化時: 随時
定期検査の内容:
- 全身の診察(皮膚、神経線維腫の状態確認)
- 血圧測定
- 眼科検査(年1回程度)
- 必要に応じた画像検査(MRI、CTなど)
- 血液検査
日常生活での注意点
皮膚のケア:
- 外傷や摩擦による神経線維腫の増大を防ぐため、きつい衣服や器具の使用を避ける
- 日焼け対策(カフェ・オ・レ斑の色素沈着悪化を防ぐ)
- 清潔な皮膚の維持
運動について:
- 骨病変がある場合は、激しいスポーツや外傷のリスクが高い活動を避ける
- 医師と相談の上、適切な運動を継続する
- 側弯症がある場合は、理学療法による姿勢改善
妊娠・出産について:
- 女性患者さんの場合、妊娠により神経線維腫が大きくなることがある
- 妊娠前の遺伝カウンセリングが推奨される
- 妊娠中は産科と連携した管理が必要
学校生活・社会生活での配慮
学習面での支援:
- 学習障害がある場合は、特別支援教育の利用を検討
- 集中力の問題に対する環境調整
- 個別の学習計画の作成
外見上の問題への対応:
- 本人や周囲の人への病気に関する正しい理解の促進
- カウンセリングや心理的サポートの活用
- 患者会などのピアサポートの利用
就労について:
- 多くの患者さんが一般的な職業に就くことができる
- 職場での理解と配慮を求める場合がある
- 障害者雇用制度の活用(重症例の場合)
情報収集の注意点
インターネットで情報を収集される際は、以下の点にご注意ください:
信頼できる情報源:
- 公的医療機関のホームページ
- 医学会の公式情報
- 患者会の信頼できる情報
- 主治医からの説明
避けるべき情報:
- 根拠の不明な治療法
- 極端に重症な症例のみを取り上げた情報
- 商業的な宣伝を目的とした情報
特に、画像検索で極端に重症な症例の写真を見ることは、患者さんやご家族に不必要な不安を与える可能性があります。正確な情報は、必ず医療従事者から得るようにしましょう。
予後と生活の質
一般的な予後
レックリングハウゼン病の予後は、症状の重症度によって大きく異なります。多くの患者さんは比較的軽症で、適切な医療管理の下で通常の社会生活を送ることができます。
軽症例(約60〜70%):
- 皮膚症状が主体
- 日常生活への影響は軽微
- 寿命への影響は少ない
中等症例(約20〜30%):
- いくつかの合併症を有する
- 定期的な医療管理が必要
- 生活の質への影響がある程度認められる
重症例(約5〜10%):
- 多臓器にわたる重篤な合併症
- 集中的な医療管理が必要
- 平均寿命が短縮する可能性
生活の質(QOL)の改善
近年、レックリングハウゼン病患者さんのQOL向上に向けた取り組みが活発になっています:
医療面での改善:
- 新しい治療薬の開発と承認
- 多診療科連携による包括的治療
- 早期診断・早期治療の推進
社会的支援の充実:
- 指定難病制度による医療費助成
- 患者会活動の活発化
- 社会の理解向上
心理的サポート:
- 医療ソーシャルワーカーによる支援
- カウンセリングサービスの提供
- ピアサポートプログラム
家族へのサポートと遺伝カウンセリング
家族への影響
レックリングハウゼン病は遺伝性疾患であるため、患者さん本人だけでなく、ご家族への影響も考慮する必要があります。
遺伝に関する不安:
- 将来の子どもへの遺伝の可能性
- 他の家族への検査の必要性
- 家族計画への影響
家族の心理的負担:
- 病気への不安や心配
- 介護負担(重症例の場合)
- 経済的負担
遺伝カウンセリングの役割
遺伝カウンセリングは、患者さんやご家族が病気について正しく理解し、適切な意思決定を行うためのサポートです。
遺伝カウンセリングで扱う内容:
- 病気の遺伝形式の詳しい説明
- 家族への遺伝リスクの評価
- 遺伝子検査の利益とリスクの説明
- 家族計画に関する相談
- 心理的サポート
遺伝カウンセリングを受けるべき場合:
- 家族計画を立てる前
- 他の家族の検査を検討する時
- 病気について深く理解したい時
- 心理的な悩みがある時
社会的支援制度
指定難病制度
レックリングハウゼン病は2014年から指定難病(指定難病34番)に指定されており、一定の条件を満たす患者さんは医療費助成を受けることができます。
助成の対象:
- 診断基準を満たし、重症度分類でステージ3以上に該当する患者さん
- 軽症でも高額な医療費が継続的に必要な患者さん
申請方法:
- 主治医による診断書(臨床調査個人票)の作成
- 都道府県の保健所への申請
- 審査により受給者証が交付される
障害者手帳
症状の程度によっては、身体障害者手帳の取得が可能な場合があります。これにより、様々な社会的サポートを受けることができます。
対象となる症状:
- 運動機能障害(骨病変による)
- 視覚障害(視神経膠腫による)
- 内部障害(内臓機能の障害)
患者会・支援団体
日本には「日本レックリングハウゼン病学会」をはじめとする専門的な団体があり、患者さんやご家族への情報提供や支援を行っています。患者会では、同じ病気を持つ方々との交流や情報交換ができ、心理的な支えとなることが多いです。
研究の現状と将来への展望
基礎研究の進歩
レックリングハウゼン病に関する基礎研究は急速に進歩しており、病気のメカニズムがより詳細に解明されてきています。
近年の重要な発見:
- RAS/MAPK経路とPI3K/AKT経路の詳細な解析
- 神経線維腫の発生メカニズムの解明
- 悪性化のメカニズムに関する新たな知見
- 治療標的分子の同定
治療法開発の現状
現在開発中の治療法:
- より効果的なMEK阻害薬
- 組み合わせ療法(複数の薬剤を併用)
- 免疫療法
- 遺伝子治療
臨床試験の状況: 世界中で多数の臨床試験が実施されており、日本でも積極的に参加が進められています。新しい治療法の開発により、将来的にはより多くの患者さんに効果的な治療を提供できることが期待されています。
診断技術の向上
新しい診断技術:
- より精密な遺伝子解析技術
- 画像診断技術の向上
- バイオマーカーの開発
これらの技術により、より早期で正確な診断や、治療効果の予測が可能になることが期待されています。
国際的な取り組み
レックリングハウゼン病は世界共通の疾患であり、国際的な研究協力が活発に行われています。
主要な国際組織:
- Children’s Tumor Foundation(アメリカ)
- Neurofibromatosis Association(イギリス)
- 各国の患者会・研究団体
国際的な研究プロジェクト:
- 国際共同臨床試験
- 遺伝子データベースの構築
- 治療ガイドラインの標準化
これらの国際協力により、より効果的な治療法の開発や、世界標準の治療ガイドラインの確立が進められています。
よくある質問と回答
A1: 現在のところ完全に治癒する治療法はありませんが、症状をコントロールし、生活の質を改善する治療法は大きく進歩しています。特に、セルメチニブの承認により、叢状神経線維腫に対する有効な治療選択肢ができました。今後もさらなる治療法の開発が期待されています。
A2: 多くの女性患者さんが正常な妊娠・出産を経験されています。ただし、妊娠中は神経線維腫が大きくなることがあるため、産科医と連携した管理が重要です。また、子どもへの遺伝の可能性について、事前に遺伝カウンセリングを受けることをお勧めします。
A3: 基本的には通常の生活を送ることができます。ただし、神経線維腫への外傷を避ける、定期受診を欠かさない、症状の変化に注意するなどの配慮が必要です。具体的な注意点については、主治医とよく相談してください。
A4: 臨床症状で診断が明確な場合は、必ずしも遺伝子検査は必要ではありません。ただし、診断が不明確な場合や、家族計画における遺伝カウンセリングが必要な場合には有用です。検査の必要性については、主治医と相談して決めましょう。
A5: 一部の患者さんで学習障害が見られることがありますが、適切な支援により学習能力を伸ばすことは十分可能です。早期から教育的支援を受けることで、子どもの可能性を最大限に引き出すことができます。
まとめ
レックリングハウゼン病(神経線維腫症1型)は、遺伝性の多臓器疾患でありながら、近年の医学の進歩により治療選択肢が大きく広がっています。特に、2022年に承認されたセルメチニブは、この病気の治療において重要な一歩となりました。
病気の症状や経過には大きな個人差があり、多くの患者さんは比較的軽症で日常生活に大きな支障なく過ごされています。一方で、重篤な合併症を有する患者さんに対しても、多診療科の連携による包括的な治療が提供されるようになってきています。
最も重要なことは、正確な診断と適切な医療管理です。定期的な受診により、症状の変化を早期に発見し、必要に応じて治療を調整することで、良好な予後が期待できます。
また、患者さんやご家族の心理的サポートも治療の重要な一部です。病気について正しく理解し、医療チームや患者会などのサポートを活用しながら、前向きに病気と向き合っていくことが大切です。
参考文献
- 難病情報センター. 神経線維腫症Ⅰ型(指定難病34). https://www.nanbyou.or.jp/entry/3991
- 日本レックリングハウゼン病学会. レックリングハウゼン病とは. http://www.recklinghausen.jp/about/index_2.html
- 太田有史. 神経線維腫症I型の治療最前線~開発中の新薬の詳細や新しい治療の可能性は? 遺伝性疾患プラス. 2023年1月25日.
- アストラゼネカ株式会社. アストラゼネカのセルメチニブ、日本において、神経線維腫症1型の治療薬として、希少疾病用医薬品の指定を取得. 2020年7月2日.
- Friedman JM. Neurofibromatosis 1. GeneReviews. 2022年4月21日更新.
- 延山嘉眞. 神経線維腫症1型小児に生じる叢状神経線維腫に対するセルメチニブによる治療. 臨床皮膚科. 2024年4月;78(5):117-122.
- 鶴舞骨軟部腫瘍研究会. 神経線維腫症1型(レックリングハウゼン病)について. 2023年9月7日.
- 鳥取大学医学部附属病院皮膚科. 神経線維腫症1型アドバイザリーボード.
- 日本皮膚科学会. 神経線維腫症1型(レックリングハウゼン病)診療ガイドライン.
- 小児慢性特定疾病情報センター. レックリングハウゼン(Recklinghausen)病(神経線維腫症Ⅰ型).
関連記事
監修者医師
高桑 康太 医師
略歴
- 2009年 東京大学医学部医学科卒業
- 2009年 東京逓信病院勤務
- 2012年 東京警察病院勤務
- 2012年 東京大学医学部附属病院勤務
- 2019年 当院治療責任者就任
佐藤 昌樹 医師
保有資格
日本整形外科学会整形外科専門医
略歴
- 2010年 筑波大学医学専門学群医学類卒業
- 2012年 東京大学医学部付属病院勤務
- 2012年 東京逓信病院勤務
- 2013年 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院勤務
- 2015年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院勤務を経て当院勤務