はじめに
インフルエンザは毎年冬季を中心に流行する感染症ですが、高熱や全身倦怠感といった典型的な症状のほかに、特に注意が必要な症状として「異常行動」があります。インフルエンザに罹患した子どもが突然走り出したり、高層階から飛び降りようとしたりする事例が報告され、社会的にも大きな関心を集めてきました。
本記事では、インフルエンザに伴う異常行動について、その実態、原因、対策方法などを医学的根拠に基づいて詳しく解説します。保護者の方々や患者さんご自身が正しい知識を持つことで、適切な予防と対応ができるようになることを目指します。

インフルエンザとは
インフルエンザの基礎知識
インフルエンザは、インフルエンザウイルスによって引き起こされる急性呼吸器感染症です。一般的な風邪とは異なり、38度以上の高熱、全身倦怠感、筋肉痛、関節痛などの全身症状が急激に現れることが特徴です。
インフルエンザウイルスにはA型、B型、C型の3種類があり、このうち主に流行を引き起こすのはA型とB型です。特にA型インフルエンザは変異しやすく、数年から数十年の周期で大きな流行を引き起こすことが知られています。
インフルエンザの症状
典型的なインフルエンザの症状には以下のようなものがあります。
発熱:多くの場合、38度から40度の高熱が突然現れます。発熱は通常3日から7日程度続きます。
全身症状:強い全身倦怠感、筋肉痛、関節痛、頭痛などが特徴的です。これらの症状は風邪よりも強く現れる傾向があります。
呼吸器症状:咳、喉の痛み、鼻水などの症状も見られますが、発熱や全身症状に比べると軽度であることが多いです。
消化器症状:特に小児では、嘔吐や下痢などの消化器症状を伴うこともあります。
異常行動とは何か
異常行動の定義
インフルエンザに伴う異常行動とは、インフルエンザ罹患時に見られる通常では考えられない行動のことを指します。厚生労働省の定義によれば、インフルエンザ罹患時の異常行動には様々なタイプがあり、その重症度も軽度から生命に関わる重度まで幅広く存在します。
異常行動の具体例
実際に報告されている異常行動には、以下のようなものがあります。
軽度の異常行動:意味不明な言動、興奮状態、突然笑い出す、泣き出すなどの行動が見られます。一時的に人や物の認識ができなくなることもあります。
中等度の異常行動:急に走り出す、部屋から飛び出そうとする、大声を出すなどの行動です。周囲の制止を振り切って動き回ることがあります。
重度の異常行動:窓から飛び降りようとする、ベランダから転落しようとする、道路に飛び出すなどの生命に危険が及ぶ行動です。幸いにも発生頻度は低いものの、重大な事故につながる可能性があるため、特に注意が必要です。
幻覚や妄想:実際には存在しないものが見える(幻視)、聞こえる(幻聴)といった症状や、誰かに追いかけられているといった妄想が現れることもあります。
異常行動の特徴
インフルエンザに伴う異常行動には、いくつかの特徴的なパターンがあります。
発症時期:多くの場合、発熱後1日から2日以内、特に発熱当日の夜間に発生することが多いとされています。
持続時間:異常行動は通常数分から数時間程度で治まることが多く、一過性であることが特徴です。
記憶の欠如:異常行動を起こしている間の記憶が本人に残っていないことが多く見られます。
年齢層:特に10歳代の小児・若年者に多く見られますが、成人でも発生することがあります。
インフルエンザに伴う異常行動の実態
発生頻度
厚生労働省が実施した調査によると、インフルエンザ罹患時に何らかの異常行動が見られる頻度は決して低くありません。調査データでは、軽度のものも含めると、インフルエンザ患者の約10パーセント前後で何らかの異常な言動や行動が観察されています。
ただし、生命に危険が及ぶような重度の異常行動の発生頻度は、全体から見れば非常に低いものです。しかし、一度発生すると重大な事故につながる可能性があるため、すべてのインフルエンザ患者において注意が必要です。
年齢別の傾向
異常行動の発生には年齢による傾向が見られます。
幼児期(1歳から6歳):比較的軽度の異常言動が中心で、泣き叫ぶ、興奮するなどの症状が見られます。保護者が常に付き添っていることが多いため、重大な事故に至るケースは少ない傾向にあります。
学童期から思春期(7歳から18歳):この年齢層で異常行動の報告が最も多く、特に10歳前後でピークを迎えます。突然走り出す、飛び降りようとするなどの危険な行動が見られることがあります。一人で寝ていることも多く、保護者の目が届きにくい状況で発生する可能性があります。
成人:発生頻度は小児に比べて低いものの、成人でも異常行動が起こることがあります。特に高熱が出ている時期や、意識レベルが低下している場合には注意が必要です。
性別による違い
研究データを見ると、異常行動の発生には性別による明確な差は認められていません。男児でも女児でも、また男性でも女性でも同様に発生する可能性があります。
異常行動の原因
インフルエンザ脳症との関連
インフルエンザに伴う異常行動の原因として、まず考えられるのがインフルエンザ脳症です。インフルエンザ脳症は、インフルエンザウイルス感染に伴って発症する急性脳症の一種で、主に小児に見られます。
インフルエンザ脳症では、けいれん、意識障害、異常行動などの神経症状が現れます。脳浮腫や脳の炎症が原因で、重症化すると後遺症を残したり、死亡に至ったりすることもある深刻な合併症です。
ただし、インフルエンザ脳症の発生頻度は年間100例から300例程度と推定されており、インフルエンザ罹患者全体から見れば非常に稀な合併症です。異常行動のすべてがインフルエンザ脳症によるものではありません。
高熱による影響
高熱自体が異常行動の原因となることがあります。40度近い高熱が出ると、脳の正常な機能が一時的に障害され、意識がもうろうとしたり、幻覚が見えたり、異常な行動をとったりすることがあります。
これは「熱性せん妄」と呼ばれる状態で、インフルエンザに限らず、他の原因による高熱でも起こりえる現象です。特に小児では脳の発達が未熟なため、高熱の影響を受けやすいと考えられています。
抗インフルエンザ薬との関連
インフルエンザの異常行動については、抗インフルエンザ薬、特にタミフル(オセルタミビル)との関連が長年議論されてきました。
タミフルと異常行動の関連性について:2000年代に、タミフルを服用した後に異常行動を起こし、転落事故などで死亡する事例が複数報告されました。これを受けて、厚生労働省や製薬会社は詳細な調査を実施しました。
調査結果:複数の大規模な疫学調査の結果、タミフルの使用と異常行動の発生には明確な因果関係が認められないことが明らかになりました。タミフルを服用していない患者でも同様に異常行動が発生していることが確認されています。
現在の見解:厚生労働省は、異常行動はインフルエンザそのものによる症状である可能性が高く、抗インフルエンザ薬の使用の有無にかかわらず発生しうると結論づけています。
ただし、念のための安全対策として、抗インフルエンザ薬を使用する場合もしない場合も、発熱から少なくとも2日間は小児・未成年者を一人にしないよう注意喚起がなされています。
インフルエンザ自体が原因である可能性
現在、最も有力な説は、異常行動がインフルエンザウイルス感染そのものによって引き起こされるというものです。インフルエンザウイルスの感染により、以下のようなメカニズムで異常行動が発生すると考えられています。
サイトカインの過剰産生:インフルエンザウイルスに感染すると、体の免疫システムが活性化し、サイトカインと呼ばれる炎症性物質が大量に産生されます。これらのサイトカインが脳に影響を及ぼし、一時的な脳機能障害を引き起こす可能性があります。
血液脳関門の透過性亢進:インフルエンザ感染により、脳を保護する血液脳関門の機能が一時的に低下し、通常は脳に入らない物質が脳内に侵入しやすくなる可能性が指摘されています。
神経伝達物質のバランス異常:ウイルス感染やサイトカインの影響により、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れ、異常な行動や思考が引き起こされる可能性があります。
予防と対策
発症早期の注意深い観察
インフルエンザと診断されたら、または強く疑われる症状がある場合は、特に発症後2日間は患者の様子を注意深く観察することが重要です。
就寝時の注意:夜間に異常行動が発生することが多いため、可能な限り患者の寝室を一階にする、または保護者が同じ部屋で就寝するなどの対策が推奨されます。
一人にしない:特に小児や若年者の場合、トイレに行く時なども含めて、できるだけ一人にしないようにしましょう。
急激な変化に注意:急に起き上がる、部屋から出ようとする、窓の方に向かうなどの行動が見られたら、すぐに対応できるよう準備しておきましょう。
住環境の安全対策
異常行動による事故を防ぐために、住環境を整えることも重要です。
窓とドアの対策:特に2階以上の部屋では、窓に補助鍵やストッパーを取り付け、容易に開けられないようにします。玄関や勝手口なども施錠を確実に行いましょう。
ベランダへのアクセス制限:ベランダへ出られる窓や扉には、子どもが一人で開けられないよう対策を講じます。
危険物の除去:患者の部屋や移動経路から、刃物や割れやすいガラス製品など、危険な物品を遠ざけておきましょう。
階段の安全確保:可能であれば、患者の寝室は一階に設定し、階段からの転落リスクを減らします。階段にゲートを設置することも一つの方法です。
家族への情報共有
インフルエンザ患者が家庭内にいる場合、家族全員が異常行動のリスクについて理解し、協力して見守ることが大切です。
情報の共有:家族全員に、異常行動の可能性とその対策について説明します。特に兄弟姉妹がいる場合は、年長の子どもにも年齢に応じて説明し、異常な行動を見かけたらすぐに大人に知らせるよう伝えます。
役割分担:保護者が交代で見守るなど、家族で協力して対応する体制を作ります。一人で抱え込まず、必要に応じて祖父母など周囲の協力も求めましょう。
早期受診と適切な治療
インフルエンザの疑いがある場合は、早期に医療機関を受診し、適切な診断と治療を受けることが重要です。
タイミング:インフルエンザの症状が現れたら、できるだけ早く(症状出現後48時間以内が望ましい)医療機関を受診しましょう。抗インフルエンザ薬は、早期に使用することで効果が高まります。
正確な情報提供:受診時には、症状の経過や家族の状況などを正確に医師に伝えましょう。持病がある場合や、過去にインフルエンザで異常行動があった場合なども必ず報告します。
医師の指示に従う:処方された薬は指示通りに服用し、自己判断で中止しないようにしましょう。また、経過観察のポイントについても医師から説明を受けておきます。
異常行動が起きた場合の対応
万が一、異常行動が起きた場合は、以下のように対応します。
冷静な対応:まずは落ち着いて、患者が怪我をしないよう安全を確保します。強引に押さえつけると、患者が暴れて怪我をする可能性があるため、優しく声をかけながら安全な場所へ誘導します。
危険の除去:患者が向かおうとしている場所(窓、階段、玄関など)から遠ざけ、安全な場所に誘導します。
医療機関への連絡:異常行動が治まらない場合、意識障害がある場合、けいれんを起こした場合などは、すぐに医療機関に連絡するか、救急車を呼びましょう。
経過の記録:いつ、どのような行動があったか、どのくらい続いたかなどをメモしておくと、その後の診察に役立ちます。
インフルエンザの予防
異常行動のリスクを減らすためには、まずインフルエンザにかからないことが最も重要です。
ワクチン接種
インフルエンザワクチンは、インフルエンザの発症や重症化を予防する効果があります。特に小児、高齢者、基礎疾患のある方は、積極的にワクチン接種を受けることが推奨されます。
接種時期:インフルエンザの流行は通常12月から3月頃ですが、ワクチンの効果が現れるまでに2週間程度かかるため、11月中旬までに接種を完了することが理想的です。
効果の持続:ワクチンの効果は接種後約5か月程度持続するとされています。
副反応:接種部位の痛みや腫れ、軽度の発熱などが見られることがありますが、通常は数日で治まります。
日常生活での予防
日常生活での予防対策も重要です。
手洗い:石けんを使って、こまめに丁寧に手を洗いましょう。特に外出後、食事の前、トイレの後は必ず手を洗います。
マスクの着用:人混みに出る際や、インフルエンザ患者の看病をする際は、マスクを着用しましょう。
適度な湿度の維持:室内の湿度を50パーセントから60パーセント程度に保つことで、ウイルスの活動を抑えることができます。
十分な休養とバランスの良い食事:体の抵抗力を高めるため、十分な睡眠とバランスの取れた食事を心がけましょう。
人混みを避ける:流行期には、不要不急の外出や人混みへの外出を控えることも有効です。
学校や職場での対応
出席停止期間
学校保健安全法により、インフルエンザと診断された場合、以下の期間は出席停止となります。
発症後5日を経過し、かつ解熱後2日(幼児は3日)を経過するまで
この期間は、他者への感染を防ぐために自宅で安静にすることが必要です。
職場復帰の目安
社会人の場合も、学校の基準に準じて、発症後5日かつ解熱後2日程度は自宅療養することが推奨されます。ただし、職場によって規定が異なる場合があるため、確認が必要です。
早期の職場復帰は、自分自身の回復を遅らせるだけでなく、職場内での感染拡大につながる可能性があるため、十分に回復してから復帰することが大切です。
よくある質問
A: いいえ、異常行動は抗インフルエンザ薬を使用していない場合でも発生します。厚生労働省の調査により、薬の使用の有無にかかわらず異常行動が報告されていることが確認されています。むしろ、抗インフルエンザ薬を適切に使用することで、インフルエンザの症状を早く改善し、合併症のリスクを減らすことができます。
A: 必ずしもそうではありません。軽度の異常行動の多くは一過性のもので、インフルエンザ脳症ではありません。ただし、けいれん、意識障害が持続する、何度も嘔吐するなどの症状がある場合は、速やかに医療機関を受診してください。
Q3: 成人でも異常行動は起こりますか?
A: はい、成人でも起こる可能性があります。発生頻度は小児に比べて低いものの、特に高熱が出ている場合や体力が低下している場合には注意が必要です。
Q4: 異常行動を起こしたことがある場合、次にインフルエンザにかかったときも起こりますか?
A: 必ずしも再発するわけではありませんが、一度異常行動を起こした経験がある場合は、次回のインフルエンザ罹患時にもより注意深い観察が必要です。医師にも過去の経験を伝えておきましょう。
Q5: 異常行動はどのくらい続きますか?
A: 多くの場合、数分から数時間程度で治まります。ただし、症状が長引く場合や繰り返す場合は、医療機関に相談してください。
医療機関を受診すべき症状
以下のような症状が見られる場合は、すぐに医療機関を受診するか、救急車を呼んでください。
意識障害:呼びかけへの反応が鈍い、意識がもうろうとしている、意味不明なことを言い続けるなど
けいれん:全身または体の一部がガクガクと震える発作が起こる
呼吸困難:呼吸が苦しそう、呼吸が速い、唇や顔色が悪いなど
激しい嘔吐:何度も嘔吐を繰り返し、水分が摂れない
異常な行動が持続:異常行動が長時間続く、または繰り返し起こる
ぐったりしている:動かない、反応が非常に鈍いなど
これらの症状は、インフルエンザ脳症などの重篤な合併症の可能性を示唆するため、迅速な対応が必要です。

まとめ
インフルエンザに伴う異常行動は、インフルエンザ罹患時に起こりうる症状の一つです。その多くは一過性で自然に治まりますが、まれに重大な事故につながる可能性があるため、十分な注意が必要です。
重要なポイントをまとめると以下の通りです。
異常行動はインフルエンザそのものによって引き起こされる可能性が高く、抗インフルエンザ薬の使用の有無にかかわらず発生しうる
特に発症後2日間は、患者を一人にせず注意深く観察することが重要
住環境の安全対策(窓の施錠、一階での就寝など)を講じることで、万が一の事故を防ぐことができる
異常行動が起きた場合は冷静に対応し、危険を回避することを最優先に
けいれんや意識障害など、重篤な症状が見られる場合はすぐに医療機関へ連絡
インフルエンザの予防(ワクチン接種、手洗い、マスク着用など)が最も重要
インフルエンザは適切な予防と対策により、そのリスクを大きく減らすことができます。特に流行期には、ワクチン接種や日常的な予防対策を徹底し、もしインフルエンザにかかってしまった場合は、正しい知識に基づいて適切に対応することが大切です。
参考文献
本記事は以下の信頼できる情報源を参考に作成しました。
- 厚生労働省「インフルエンザQ&A」
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou01/qa.html - 厚生労働省「インフルエンザ罹患に伴う異常行動に関する調査結果について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000169215.html - 国立感染症研究所「インフルエンザとは」
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/219-about-flu.html - 日本小児科学会「インフルエンザ脳症について」
https://www.jpeds.or.jp/modules/general/index.php?content_id=5 - 厚生労働省「抗インフルエンザウイルス薬の安全性について」
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou01/dl/pamphlet.pdf
※記事の内容は2025年11月時点の情報に基づいています。最新の情報は各公式サイトをご確認ください。
監修者医師
高桑 康太 医師
略歴
- 2009年 東京大学医学部医学科卒業
- 2009年 東京逓信病院勤務
- 2012年 東京警察病院勤務
- 2012年 東京大学医学部附属病院勤務
- 2019年 当院治療責任者就任
佐藤 昌樹 医師
保有資格
日本整形外科学会整形外科専門医
略歴
- 2010年 筑波大学医学専門学群医学類卒業
- 2012年 東京大学医学部付属病院勤務
- 2012年 東京逓信病院勤務
- 2013年 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院勤務
- 2015年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院勤務を経て当院勤務