はじめに
2018年3月14日、世界は偉大な物理学者スティーブン・ホーキング博士を失いました。享年76歳。ブラックホールの研究で知られる天才科学者は、同時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病と闘い続けた勇気ある患者でもありました。
21歳という若さでALSと診断され、医師から「余命2年」と告げられた青年が、なぜ半世紀以上も生き続け、世界的な業績を残すことができたのでしょうか。本記事では、ホーキング博士の人生を通じて、ALSという病気の実態、そして難病と向き合う人々に希望を与え続けた博士の遺産について、詳しく解説していきます。

スティーブン・ホーキング博士という人物
天才物理学者の誕生
スティーブン・ウィリアム・ホーキング(Stephen William Hawking)は、1942年1月8日、イギリスのオックスフォードで誕生しました。奇しくもこの日は、天文学者ガリレオ・ガリレイの命日から300年目にあたる日でした。
優秀な学生だったホーキング青年は、父親の希望で医学ではなく物理学と数学の道を選び、オックスフォード大学で学びました。その後、ケンブリッジ大学の大学院に進学し、宇宙論と一般相対性理論の研究に没頭していきます。
運命の診断
1963年、ケンブリッジ大学の大学院生だった21歳のホーキング青年に、突然の異変が訪れます。階段で転倒したり、言葉がうまく出なくなったりという症状が現れたのです。心配した父親に連れられて病院を受診したところ、診断結果は「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」でした。
当時の医師からは「余命2年」と宣告されました。研究者としてのキャリアをようやく始めたばかりの若者にとって、この診断は絶望的なものだったに違いありません。実際、ホーキング博士は後に、この時期に深い絶望に陥り、生きる意味を見失いかけたと語っています。
しかし、ホーキング青年は次第に前向きな姿勢を取り戻していきます。同じ病院で白血病患者の苦しみを目の当たりにし、「自分はまだ恵まれている」と考えるようになったのです。そして、婚約者ジェーン・ワイルドとの出会いと結婚が、彼に生きる希望と目的を与えました。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは
病気の基本的な理解
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、運動神経細胞(運動ニューロン)が徐々に変性し、死滅していく進行性の神経変性疾患です。英語名の「Amyotrophic Lateral Sclerosis」の頭文字を取ってALSと呼ばれ、日本では「筋萎縮性側索硬化症」という病名で、厚生労働省により指定難病に指定されています。
「筋萎縮性」とは筋肉が痩せていくこと、「側索」とは脊髄の中で運動神経が通る部位、「硬化症」とはその部位が硬くなることを意味します。この病気では、脳から筋肉への運動指令を伝える神経細胞が障害されるため、徐々に全身の筋肉が動かせなくなっていきます。
ALSの症状
ALSの症状は、障害される運動神経の部位によって異なりますが、主に以下のような症状が現れます。
初期症状
- 手足の筋力低下(物を落としやすい、つまずきやすい)
- 筋肉の萎縮(やせ細る)
- 筋肉のぴくつき(筋束性攣縮)
- 話しにくさ、発音の不明瞭さ(構音障害)
- 飲み込みにくさ(嚥下障害)
進行期の症状
- 全身の筋力低下の進行
- 歩行困難、車椅子が必要になる
- 手指の細かい動作ができなくなる
- 言葉が話せなくなる
- 食事が困難になる
- 呼吸筋の麻痺による呼吸困難
重要な特徴として、ALSでは運動神経のみが障害され、感覚神経や自律神経、そして知能は通常保たれます。つまり、患者さんは意識や思考能力を完全に保ったまま、体が動かなくなっていくという、精神的にも非常に過酷な病気なのです。
ALSの疫学と分類
日本におけるALSの患者数は約1万人で、毎年新たに約2,000人が発症しています。発症年齢は40歳代後半から60歳代が多く、男性がやや多い傾向にあります。
ALSは大きく2つのタイプに分けられます。
孤発性ALS(約90%) 明確な原因が特定できないタイプで、ALSの大多数を占めます。環境要因、遺伝的素因、加齢など、複数の要因が関与していると考えられていますが、詳しいメカニズムは解明されていません。
家族性ALS(約10%) 遺伝性のタイプで、複数の遺伝子変異が原因として特定されています。SOD1、TDP-43、FUSなどの遺伝子異常が知られています。
診断方法
ALSの診断は容易ではありません。ALSに特有の検査方法は存在せず、神経内科専門医による詳細な神経学的診察と、他の病気を除外することによって診断されます。
診断に用いられる検査
- 神経学的診察(筋力、反射、筋萎縮の評価)
- 針筋電図検査(筋肉の電気活動を調べる)
- 神経伝導速度検査
- MRI検査(脳や脊髄の画像診断)
- 血液検査
- 髄液検査
診断基準として、世界的には「El Escorial診断基準」や改訂版の「Awaji診断基準」が用いられています。
予後と経過
ALSは進行性の疾患であり、現在のところ根本的な治療法は確立されていません。発症から死亡までの平均期間は3〜5年とされており、呼吸筋の麻痺による呼吸不全が主な死因となります。
ただし、病気の進行速度には個人差が大きく、ホーキング博士のように長期間生存する例も稀にあります。呼吸器装着などの医療的ケアを受けることで、生命予後は大幅に延長できるようになってきています。
ホーキング博士の闘病の軌跡
発症初期(1960年代)
ホーキング博士のALSは、典型的なパターンとは異なる経過をたどりました。通常、ALSは急速に進行することが多いのですが、ホーキング博士の場合は非常にゆっくりとした進行でした。
診断後も、博士は研究を続け、1965年にケンブリッジ大学で博士号を取得しました。この時期の研究で、宇宙の始まりに関する重要な理論的成果を上げています。同年、ジェーン・ワイルドと結婚し、その後3人の子供にも恵まれました。
1960年代後半には杖が必要になり、1970年代には車椅子を使用するようになりました。しかし、知的活動は全く衰えることなく、むしろブラックホールに関する革命的な理論を次々と発表していきました。
1970年代〜1980年代:「ホーキング放射」の発見
1974年、ホーキング博士は「ホーキング放射」と呼ばれる理論を発表しました。これは、ブラックホールが完全に黒いのではなく、量子力学的効果によってエネルギーを放出しているという画期的な発見でした。この理論は、一般相対性理論と量子力学を統合する試みの重要な一歩となりました。
1979年には、ケンブリッジ大学の「ルーカス教授職」という名誉ある地位に就任しました。これはかつてアイザック・ニュートンも務めた由緒ある職位です。
1985年:声を失う
1985年、ホーキング博士に大きな転機が訪れます。スイス滞在中に肺炎を発症し、緊急の気管切開手術を受けることになったのです。この手術により、博士は完全に声を失いました。
しかし、この困難を乗り越えるために、コンピュータ技術者たちが立ち上がります。音声合成装置が開発され、博士は頬の筋肉のわずかな動きでコンピュータを操作し、合成音声で「話す」ことができるようになりました。この特徴的な合成音声は、後にホーキング博士のトレードマークとなります。
1988年:『ホーキング、宇宙を語る』の大成功
1988年、ホーキング博士は一般向けの科学書『ホーキング、宇宙を語る(A Brief History of Time)』を出版しました。宇宙の起源、ブラックホール、時間の本質などについて、数式をほとんど使わずに解説したこの本は、世界的なベストセラーとなり、40以上の言語に翻訳され、1,000万部以上を売り上げました。
重度の身体障害を抱えながら、世界中の人々に宇宙の神秘を伝えることに成功した博士の姿は、多くの人々に深い感銘を与えました。
1990年代〜2000年代:研究と啓蒙活動の継続
1990年代から2000年代にかけて、ホーキング博士は研究活動を続けながら、科学の普及活動にも精力的に取り組みました。テレビ番組への出演、講演会、さらには「スタートレック」や「ザ・シンプソンズ」といったエンターテインメント番組への出演も果たし、科学を身近なものにする努力を続けました。
2007年には、無重力飛行機に搭乗し、一時的に無重力状態を体験するという、障害を抱える人としては驚異的な挑戦も行いました。
晩年の活動
2010年代に入っても、ホーキング博士は旺盛な活動を続けました。宇宙論に関する新しい論文を発表し続け、人工知能の発展や宇宙開発についても積極的に発言しました。
2014年には、自身の半生を描いた映画『博士と彼女のセオリー』が公開され、博士を演じたエディ・レッドメインがアカデミー主演男優賞を受賞しました。この映画を通じて、世界中の人々がホーキング博士の人生とALSという病気について知る機会となりました。
2018年3月14日、ホーキング博士はケンブリッジの自宅で安らかに息を引き取りました。診断から実に55年、当初の余命宣告を50年以上も超える人生でした。
ホーキング博士はなぜ長生きできたのか
医学的な謎
ホーキング博士の長期生存は、ALS研究者たちにとっても大きな謎でした。通常、ALSの平均生存期間は発症から3〜5年程度ですが、博士は55年以上も生存したのです。
この謎について、いくつかの仮説が提唱されています。
若年発症の特徴 ホーキング博士は21歳という若い年齢でALSを発症しました。若年発症のALSは、高齢発症の場合に比べて進行が遅い傾向があることが知られています。若い体の回復力や適応力が、病気の進行を遅らせた可能性があります。
特殊なタイプのALS すべてのALSが同じように進行するわけではありません。ホーキング博士のケースは、極めてゆっくりと進行する稀なタイプのALSだった可能性があります。一部の研究者は、博士のALSは未知の遺伝的要因や、特殊な病態メカニズムを持っていたのではないかと推測しています。
優れた医療ケア ホーキング博士は、世界最高水準の医療ケアを受けることができました。24時間体制の看護スタッフ、最新の呼吸管理技術、感染症の早期治療など、包括的な医療サポートが生命を支えました。特に呼吸管理は、ALS患者の予後を大きく左右する要因です。
知的活動の継続 研究や執筆、講演など、博士は生涯にわたって知的活動を続けました。脳を活発に使い続けることが、何らかの神経保護作用をもたらした可能性も指摘されています。ただし、これは科学的に証明されたわけではありません。
生きる意志と目的 ホーキング博士自身、結婚や子供の誕生、研究への情熱が生きる原動力となったと語っています。精神的な要因が身体に影響を与える可能性は、医学的にも注目されています。目的意識を持って生きることが、生命力を維持する一助となったのかもしれません。
例外的な症例として
重要なのは、ホーキング博士のケースは極めて例外的であり、すべてのALS患者が同様の経過をたどるわけではないという点です。医学的には、博士の長期生存を完全に説明することはできていません。
それでも、博士の人生は、適切な医療ケアとサポート、そして生きる意志の重要性を示す貴重な例となっています。
ALSの治療と研究の現状
現在利用可能な治療法
残念ながら、2025年現在、ALSを根本的に治癒させる治療法は確立されていません。しかし、病気の進行を遅らせたり、症状を緩和したりする治療法は存在します。
薬物療法
日本で承認されている主なALS治療薬は以下の通りです。
- リルゾール(商品名:リルテック):世界で最初に承認されたALS治療薬で、1999年に日本でも承認されました。グルタミン酸の過剰放出を抑制することで神経細胞を保護し、病気の進行を数ヶ月程度遅らせる効果があります。
- エダラボン(商品名:ラジカット):2015年に日本で承認された薬剤で、酸化ストレスを軽減することで神経保護作用を発揮します。日本発の治療薬として注目されました。
- タウリソジェル(商品名:レリボル):2022年に承認された比較的新しい治療薬で、SOD1遺伝子変異を持つ家族性ALS患者に対して使用されます。
これらの薬剤は病気の進行を完全に止めるものではありませんが、適切に使用することで患者さんのQOL(生活の質)向上に貢献します。
対症療法と支持療法
ALSの治療では、薬物療法以上に、対症療法と支持療法が重要な役割を果たします。
- 呼吸管理:呼吸筋の麻痺に対して、非侵襲的陽圧換気(NPPV)や人工呼吸器による管理を行います。呼吸管理は生命予後を大きく改善します。
- 栄養管理:嚥下障害が進行すると、経口摂取が困難になります。胃瘻(いろう)による栄養管理が選択されることがあります。
- リハビリテーション:理学療法、作業療法、言語療法などにより、残存機能の維持と日常生活動作の改善を図ります。
- コミュニケーション支援:視線入力装置や文字盤など、様々なコミュニケーション補助装置が開発されています。
- 心理的サポート:患者さんとご家族への心理的ケアも重要です。
最新の研究動向
世界中でALSの原因解明と新しい治療法の開発に向けた研究が進められています。
遺伝子研究 家族性ALSの原因遺伝子の解析から、病気のメカニズムの理解が進んでいます。TDP-43、FUS、C9orf72などの遺伝子異常が、孤発性ALSにも関与している可能性が示されています。
幹細胞治療 iPS細胞(人工多能性幹細胞)を用いた研究が進んでいます。患者さん由来のiPS細胞から運動神経細胞を作製し、病気のメカニズムを研究したり、薬の効果を試験したりする研究が行われています。
遺伝子治療 特定の遺伝子変異を標的とした治療法の開発も進んでいます。アンチセンスオリゴヌクレオチドと呼ばれる技術を用いて、異常な遺伝子の働きを抑える治療法が研究されています。
バイオマーカーの探索 早期診断や病気の進行を評価するためのバイオマーカー(血液や髄液中の物質)の研究も活発です。
人工知能(AI)の活用 AIを用いて、膨大な医療データから新しい治療標的を見つけ出す研究も始まっています。
日本におけるALS研究
日本は、ALS研究において世界をリードする国の一つです。エダラボンの開発や、iPS細胞研究での成果など、重要な貢献を果たしています。
国立精神・神経医療研究センターや東京大学、京都大学などの研究機関で、精力的な研究が続けられています。また、日本神経学会や日本ALS協会などが、患者支援と研究促進に取り組んでいます。
ホーキング博士が残した遺産
科学への貢献
ホーキング博士は、理論物理学、特に宇宙論の分野に計り知れない貢献をしました。ブラックホールの熱力学、ホーキング放射、宇宙の境界条件に関する理論など、現代物理学の基礎となる業績を多数残しました。
身体的な制約があったにもかかわらず、むしろそれを乗り越えて、人類の宇宙理解を深めた博士の業績は、科学史に永遠に刻まれるでしょう。
障害者への希望とインスピレーション
ホーキング博士の人生は、世界中の障害を持つ人々に希望を与えました。重度の身体障害があっても、知性と創造性、そして不屈の精神があれば、人生の目的を達成し、社会に貢献できることを身をもって示したのです。
博士は自身について、次のように語っています。「人生がどんなに困難に見えても、あなたができることは必ずある。諦めないことが大切だ。」
科学コミュニケーションの推進
ホーキング博士は、難解な科学理論を一般の人々にわかりやすく伝える努力を惜しみませんでした。『ホーキング、宇宙を語る』をはじめとする一般向けの著作や、メディアへの積極的な露出を通じて、科学への関心を広く喚起しました。
専門家だけでなく、すべての人が科学を理解し、楽しむ権利があるという博士の信念は、現代の科学コミュニケーションの模範となっています。
テクノロジーと支援技術の発展
ホーキング博士が使用していたコミュニケーション装置は、支援技術の発展にも大きく寄与しました。博士のニーズに応えるために開発された技術は、他の障害を持つ人々のためにも応用され、多くの人々のコミュニケーションと社会参加を可能にしました。
現在では、視線入力装置、脳波コンピュータインターフェース、AI音声合成など、より高度な支援技術が開発されており、その基盤の一部はホーキング博士のために開発された技術にあります。
日本におけるALS患者支援
医療制度と支援体制
日本では、ALSは厚生労働省の指定難病に指定されており、医療費助成制度の対象となっています。一定の条件を満たせば、医療費の自己負担が軽減されます。
また、障害者総合支援法に基づき、訪問介護、訪問看護、補装具の給付など、様々な福祉サービスを受けることができます。
主な公的支援制度
- 指定難病医療費助成制度
- 障害者手帳の交付
- 介護保険サービス
- 障害福祉サービス
- 人工呼吸器の医療機器給付
- コミュニケーション機器の補装具給付
患者団体の活動
日本ALS協会は、1986年に設立された患者・家族を中心とする団体で、全国に支部を持ち、患者支援、啓発活動、政策提言などを行っています。
協会では、患者・家族の交流会、相談支援、情報提供、医療・福祉従事者への研修など、幅広い活動を展開しています。また、毎年6月21日を「世界ALSデー」として、啓発キャンペーンを実施しています。
在宅療養支援
ALSの患者さんの多くは、在宅での療養を希望されます。日本では、在宅医療と訪問看護、訪問介護の連携によって、重度の障害があっても自宅で生活を続けることが可能になってきています。
24時間対応の訪問看護ステーションや、レスパイトケア(介護者の休息のための一時的な入院や施設利用)の体制も整備されつつあります。
就労支援と社会参加
近年では、テクノロジーの進歩により、ALSの患者さんでも社会活動や就労を継続できるケースが増えています。視線入力装置などのコミュニケーション支援技術により、在宅でのリモートワークが可能になっているのです。
また、患者さん自身が講演活動や執筆活動を通じて、社会に情報を発信する例も見られます。これらの活動は、患者さんの生きがいとなるだけでなく、社会の理解促進にも貢献しています。
ALSと向き合うために
早期発見の重要性
ALSの治療において、早期発見と早期治療開始は非常に重要です。以下のような症状がある場合は、できるだけ早く神経内科を受診することをお勧めします。
- 手足の力が入りにくい、筋肉が痩せてきた
- 筋肉がぴくぴくと動く(特に安静時)
- つまずきやすい、階段の上り下りが困難
- 話しにくい、ろれつが回らない
- 食べ物や飲み物が飲み込みにくい
- 呼吸が苦しい
これらの症状があるからといって必ずしもALSとは限りませんが、早期に専門医を受診することで、適切な診断と治療につながります。
患者さんとご家族へのメッセージ
ALSの診断を受けることは、患者さんにとってもご家族にとっても、大きな衝撃です。しかし、決して希望を失わないでください。
現在では、医療技術の進歩により、適切なケアを受けることで、生活の質を維持しながら長く生きることが可能になってきています。また、新しい治療法の研究も日々進歩しています。
患者さんが主体的に治療方針を選択できるよう、医療者と十分にコミュニケーションを取ることが大切です。人工呼吸器の使用や胃瘻の造設など、重要な医療的決断については、患者さんの価値観や希望を最優先に、時間をかけて検討しましょう。
また、一人で抱え込まず、医療・福祉の専門家や患者団体のサポートを活用してください。同じ病気と向き合う仲間との交流も、大きな支えとなります。
社会全体でできること
ALS患者さんが安心して暮らせる社会をつくるために、私たち一人ひとりができることがあります。
- 正しい理解:ALSという病気について正しく理解し、偏見をなくすこと
- 支援:患者団体への寄付やボランティア活動への参加
- 研究への協力:医学研究への理解と支援
- バリアフリー:物理的・社会的なバリアフリー環境の整備
- コミュニケーション:コミュニケーションに困難を抱える方々への配慮
ホーキング博士が示してくれたように、障害があっても、その人の価値や能力が損なわれるわけではありません。すべての人が尊重され、能力を発揮できる社会をつくることが、私たちの目標です。
おわりに
スティーブン・ホーキング博士の人生は、人間の精神の強さと可能性を示す、かけがえのない物語です。21歳で余命2年と宣告されながら、76歳まで生き抜き、世界に多大な貢献を残した博士の姿は、困難に直面するすべての人々への励ましとなっています。
博士は晩年、次のような言葉を残しています。
「宇宙を理解しようとする人々に、人類には大きな可能性があることを示したい。星を見上げて、自分の足元だけを見ないでほしい。目の前に見えるものの意味を理解しようと努力し、宇宙が存在する理由を考えてほしい。好奇心を持ち続けることが大切だ。人生がどんなに困難に見えても、あなたができること、そして成功できることは必ずある。」
ALSという難病は、依然として医学的な挑戦課題です。しかし、研究は着実に進歩しており、新しい治療法の開発への希望は高まっています。そして何より、ホーキング博士が示してくれたように、病気があっても人生を豊かに、意義深く生きることは可能なのです。
参考文献・情報源
本記事の作成にあたり、以下の信頼できる情報源を参考にいたしました。
公的機関・医学会
難病情報センター(ALS) 厚生労働省が運営する難病に関する総合的な情報提供サイト。ALSの医学的情報、診断基準、治療法などが詳しく掲載されています。 https://www.nanbyou.or.jp/entry/52
日本神経学会 神経疾患の診療ガイドラインや最新の医学情報を提供しています。 https://www.neurology-jp.org/
厚生労働省 難病対策 難病医療費助成制度や支援策についての公式情報 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000084783.html
患者支援団体
日本ALS協会 ALS患者・家族を支援する全国組織。患者支援、啓発活動、政策提言などを行っています。 https://alsjapan.org/
研究機関
国立精神・神経医療研究センター ALSを含む神経疾患の研究・診療の中核機関 https://www.ncnp.go.jp/
図表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 病名 | ALS(筋萎縮性側索硬化症) |
| 原因 | 運動神経細胞の変性(原因不明) |
| 患者数 | 日本で約1万人 |
| 発症年齢 | 40〜60歳代が多い |
| 男女比 | やや男性に多い |
| 平均生存期間 | 発症から3〜5年 |
| 主な症状 | 筋力低下、筋萎縮、呼吸障害 |
| 治療薬 | リルゾール、エダラボン、タウリソジェルなど |
| 難病指定 | 指定難病(医療費助成対象) |
監修者医師
高桑 康太 医師
略歴
- 2009年 東京大学医学部医学科卒業
- 2009年 東京逓信病院勤務
- 2012年 東京警察病院勤務
- 2012年 東京大学医学部附属病院勤務
- 2019年 当院治療責任者就任
佐藤 昌樹 医師
保有資格
日本整形外科学会整形外科専門医
略歴
- 2010年 筑波大学医学専門学群医学類卒業
- 2012年 東京大学医学部付属病院勤務
- 2012年 東京逓信病院勤務
- 2013年 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院勤務
- 2015年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院勤務を経て当院勤務