はじめに
「1、2、3、チャラ~ン!」というお決まりの挨拶で、日曜夕方のお茶の間を笑顔にしてくれた落語家・林家こん平さん。オレンジ色の着物姿で『笑点』の大喜利メンバーとして活躍された姿を覚えている方も多いのではないでしょうか。
2004年、こん平さんは突然の体調不良に襲われ、その後「多発性硬化症」という難病と診断されました。61歳での発症は、この病気としては比較的まれなケースでした。2020年12月に77歳で亡くなるまでの約16年間、こん平さんは病気と向き合いながら、同じ病気で苦しむ人々のために自身の経験を発信し続けました。
本記事では、林家こん平さんの闘病経験を振り返りながら、多発性硬化症という病気について、一般の方にもわかりやすく解説していきます。

林家こん平さんの闘病の軌跡
突然の発症
2004年8月、こん平さんは突然体調を崩されました。当時、声が出にくい、右手が痛いといった症状を訴えており、今振り返ればそれらが前兆だったと考えられています。実際に倒れた日の朝には「何だか仕事に行きたくないなあ」と珍しく弱音を吐いていたそうです。
病院に搬送され、様々な検査を受けましたが、診断は容易ではありませんでした。多発性硬化症は通常20代から40代の女性に多い病気であり、60代の男性という条件が診断を困難にしたのです。時には脳腫瘍に似た画像所見を示すこともあり、こん平さんの場合も正確な診断のために脳生検まで行われました。
診断確定と公表
2005年1月、ようやく「多発性硬化症」という診断が確定し、同年7月に一般公表されました。主な症状は右半身の麻痺と言語障害。落語家にとって、話すことができないということは致命的です。こん平さん自身も「自分がそうなって、ただただびっくり」と当時を振り返っています。
娘の笠井咲さんは、父親の診断を受けて次のように語っています。「脳や脊髄といった中枢神経が侵される病気だそうで、父の場合、右半身にマヒが起こり、話すこともできない。突然、体が動かなくなり、言葉を失うなんて……。現実をなかなか受け入れられませんでした」
リハビリと再入院の繰り返し
2005年5月に一度退院した後も、こん平さんのリハビリ生活は続きました。しかし、多発性硬化症の特徴である「再発」は避けられず、2008年には再入院を余儀なくされました。
さらに2013年には糖尿病が悪化。左足に壊死が進行し、呼吸困難にまで陥って緊急入院となりました。命は助かりましたが、壊死した左足の指は切断せざるを得ませんでした。一つの病気から身体が弱り、他の病気を併発していく様子は、難病患者が直面する厳しい現実を物語っています。
笑点への復帰と感動の瞬間
2006年5月、こん平さんは『笑点』40周年を機に大喜利メンバーの座を弟子の林家たい平さんに譲りました。しかし、高座への復帰を諦めたわけではありませんでした。
2014年と2015年には『24時間テレビ』に出演。特に2015年8月の『チャリティー笑点』では、11年ぶりにメンバーと並んで共演を果たし、車椅子姿ながらも「1・2・3、チャラ~ン!」を披露しました。この姿は多くの視聴者に感動を与え、同じ病気と闘う人々に勇気を与えました。
隣に座っていた三遊亭円楽さん(当時)は、こん平さんの復帰の際、「ずっと隣に並んでいたから……」と話しながら涙を抑えることができませんでした。長年の共演者だからこそわかる、こん平さんの苦労と努力が伝わる場面でした。
闘病記の出版と啓発活動
2010年3月、こん平さんは『チャランポラン闘病記〜多発性硬化症との泣き笑い2000日』(講談社)を出版しました。この本は、約6年間の闘病生活と半生を綴ったもので、多発性硬化症の認知度向上に大きく貢献しました。
ある医学研究者は、この著書について「日本ではまだ一般の人にはほとんど知られていない病気を著名人である林家こん平師匠が執筆したことで、認知度を高めることに貢献した画期的な本」と評価しています。欧米では俳優や歌手などの著名人が病気のボランティア活動に参加することで認知度が高まり、治療薬の開発が進んだ歴史があります。こん平さんは日本において同様の役割を果たしたのです。
晩年と最期
2018年には車椅子ながらも滑舌よく話せるようになり、イベントに出席する姿も見られました。娘の咲さんは「父がこんなに滑舌よくしゃべれるとは思っていませんでした」と驚きを語っています。
しかし、2019年には小脳梗塞で緊急入院。2020年には体調を崩し、「あと数ヶ月」という余命宣告を受けました。こん平さんは自宅で最期を迎えることを選択し、終末医療を受けることになりました。
2020年12月17日、誤嚥性肺炎のため、77歳でこの世を去りました。体は徐々に弱っていきましたが、意識は亡くなる2日前まであり、見舞いには「うん、うん」と言葉を返していたそうです。
多発性硬化症とは何か
林家こん平さんが長年闘った多発性硬化症とは、どのような病気なのでしょうか。ここからは医学的な視点で詳しく解説していきます。
病気の定義と特徴
多発性硬化症(Multiple Sclerosis、略してMS)は、脳や脊髄、視神経といった中枢神経系に炎症が起こり、神経の働きが障害される病気です。厚生労働省により指定難病(指定難病13番)に指定されています。
神経系は複雑な電気回路に例えられます。神経線維は、家庭の電線がビニールの絶縁体で覆われているように、「髄鞘(ずいしょう)」という絶縁体に包まれています。多発性硬化症では、この髄鞘に炎症が起こり、壊れてしまう「脱髄」という現象が生じます。
髄鞘が壊れると、神経からの信号がうまく伝わらなくなり、様々な神経症状が現れます。この脱髄が中枢神経のあちこちに斑状にでき(脱髄斑)、症状の再発を繰り返すのが多発性硬化症の特徴です。病変が多発し、古くなると少し硬く感じられることから、この名前がつけられました。
自己免疫疾患としての側面
多発性硬化症は「自己免疫疾患」の一種です。自己免疫疾患とは、本来は外敵から身体を守るための免疫系に異常が起き、自分の身体の一部を外敵と見なして攻撃してしまう病気のことです。
なぜこのようなことが起こるのか、詳しい原因はまだ完全には解明されていません。しかし、遺伝的要因、環境要因(EBウイルス感染、喫煙、日照時間の低下など)、免疫系の異常などが複雑に関わっていると考えられています。
日本における患者数と疫学
多発性硬化症は、かつては欧米に多く、アジアでは比較的まれな病気とされてきました。世界全体では約280万人の患者がいると推定されており、特に緯度の高い北米や欧州で多く見られます。
日本における有病率は、かつては10万人あたり1~5人程度とされていましたが、近年は10万人あたり14~18人程度と増加傾向にあります。国内の患者数は約19,000人(視神経脊髄炎を含む)と報告されており、決してまれな病気ではなくなってきています。
発症年齢と性差
多発性硬化症は、20代から40代の比較的若い世代に発症することが多く、発症のピークは30歳前後です。患者さんの8割以上が50歳までに発症しています。
また、男女比では2~3:1の割合で女性に多いことが知られています。林家こん平さんのように60代で発症し、かつ男性であるというケースは典型的ではなく、これが診断を困難にした一因でした。
多発性硬化症の症状
多発性硬化症の症状は、脱髄が起こる部位によって異なるため、患者さんごとに実に多様です。ここでは代表的な症状について解説します。
視覚の症状
視力低下や視野が狭くなる視野狭窄、物が二重に見える複視、目の痛みなどが起こります。これらは多発性硬化症の初期によく見られる症状です。視神経に炎症が起こることで生じます。
運動機能の障害
手足のしびれや脱力感、筋力低下、歩行困難などが現れます。脊髄に脱髄が生じることで起こる症状で、こん平さんの場合は右半身に麻痺が生じました。重症化すると、車椅子が必要になったり、寝たきりになることもあります。
感覚の異常
温度感覚の喪失(お風呂に入っても熱い・冷たいの感じがわからない)、痛み、しびれなどの異常感覚が生じることがあります。
首を前に曲げると足の方までじんじんとしたしびれが伝わる「レルミッテ徴候」は、多発性硬化症に特徴的な症状の一つです。
言語障害
こん平さんが経験したように、呂律が回らない、声が出にくいといった言語障害が生じることがあります。落語家やアナウンサーなど、話すことが職業である人にとっては、特に深刻な症状です。
排尿・排便障害
膀胱や腸の機能を制御する神経が障害されると、尿が出にくい、頻尿、便秘などの症状が現れます。日常生活の質に大きく影響する症状です。
その他の症状
めまい、ふらつき、疲労感、認知機能の低下、抑うつなど、様々な症状が起こりえます。疲労感は特に多くの患者さんが訴える症状で、日常生活に大きな影響を与えます。
ウートフ徴候
多発性硬化症に特有の現象として「ウートフ徴候」があります。これは、体温が上昇すると神経症状が悪化し、低下すると症状が落ち着くという現象です。
運動や入浴、発熱などで体温が上がると、それまで感じていたしびれなどの症状が一時的に悪化します。このため、患者さんは激しい運動や長時間の入浴を避ける必要があります。
多発性硬化症の診断
多発性硬化症の診断は、神経内科の専門医による丁寧な診察と、複数の検査を組み合わせて行われます。
診察と病歴聴取
まず、患者さんから詳しく症状の経過を聞き、神経学的な診察を行います。多発性硬化症の特徴である「空間的多発性」(複数の神経障害部位がある)と「時間的多発性」(何度も症状の寛解と再発を繰り返す)を確認することが重要です。
初回の診察には1時間以上かかることもあります。それだけ丁寧に病歴を聞き、症状を確認することが診断には不可欠なのです。
MRI検査
頭部や脊髄のMRI検査は、多発性硬化症の診断において最も重要な検査の一つです。脳や脊髄に散在する脱髄病変を画像として捉えることができます。
造影剤を使用することで、活動性のある新しい病変と古い病変を区別することも可能です。こん平さんの場合も、MRI検査が診断の決め手となりました。
髄液検査
脊髄から髄液を採取して調べる検査です。多発性硬化症では、髄液中の免疫グロブリンやオリゴクローナルバンドという特殊なタンパク質のパターンが検出されることがあります。
誘発電位検査
視覚や体性感覚の神経伝導速度を測定する検査です。神経の障害により、信号の伝わる速度が遅くなっていることを確認できます。
鑑別診断の重要性
多発性硬化症と似た症状を示す病気は多数あります。脊髄腫瘍、脳血管障害、膠原病、神経ベーチェット病、視神経脊髄炎などとの鑑別が重要です。
近年は精度の高い診断基準が確立され、以前より早く正確に診断できるようになってきました。しかし、それでも診断までに時間がかかるケースや、誤診されるケースもあります。
多発性硬化症の治療
多発性硬化症の根本的な治療法はまだ確立されていませんが、症状を和らげ、進行を遅らせるための様々な治療法が開発されています。
急性期治療(再発時の治療)
症状が急に悪化した再発時には、炎症を抑えるための治療を行います。
ステロイドパルス療法
メチルプレドニゾロンという強力なステロイド薬を3~5日間、点滴で投与します。炎症を速やかに抑えることで、症状の改善を図ります。多くの場合、この治療で症状は軽快します。
血液浄化療法(血漿交換療法)
ステロイドパルス療法で効果が不十分な場合、血液中の有害な抗体や炎症物質を取り除く血液浄化療法が行われることがあります。
再発予防治療(疾患修飾薬)
症状が落ち着いている時期には、再発を予防し、病気の進行を遅らせるための薬物療法が行われます。これらの薬は「疾患修飾薬」と呼ばれます。
現在、日本では複数の疾患修飾薬が承認されています:
- インターフェロンβ製剤(注射薬)
- グラチラマー酢酸塩(注射薬)
- フィンゴリモド(内服薬)
- ナタリズマブ(点滴薬)
- フマル酸ジメチル(内服薬)
など、複数の選択肢があります。患者さんの病型、重症度、生活スタイル、副作用などを考慮して、最適な薬が選択されます。
これらの薬により、欧米では以前は2つしかなかった治療薬が、現在は10を超えるまでになっており、多発性硬化症の治療は大きく進歩しています。
対症療法
症状を和らげるための治療も重要です。
- 筋緊張の緩和:筋肉のこわばりを和らげる薬
- 疼痛管理:神経痛に対する鎮痛薬
- 排尿障害の治療:排尿をコントロールする薬
- 疲労への対処:適度な運動と休息のバランス
リハビリテーション
リハビリテーションは、多発性硬化症の治療において非常に重要な位置を占めます。
理学療法
筋力維持、歩行訓練、バランス訓練などを行います。定期的な運動は筋力低下を防ぎ、生活の質を維持するために重要です。
作業療法
日常生活動作(食事、着替え、トイレなど)の訓練や、手の細かい動作の訓練を行います。
言語療法
言語障害や嚥下障害がある場合、言語聴覚士による訓練が行われます。こん平さんも長年、言語のリハビリに取り組まれていました。
林家こん平さんは、高座への復帰を目指して懸命にリハビリを続けられました。2018年のイベント出席時には、以前より滑舌が改善していることが確認され、リハビリの効果が現れていました。
多発性硬化症の経過とタイプ
多発性硬化症の経過は患者さんによって大きく異なりますが、いくつかのタイプに分類されます。
再発寛解型(最も多いタイプ)
患者さんの約85%がこのタイプです。症状が悪化する「再発」と、症状が改善する「寛解」を繰り返します。再発の頻度や重症度は個人差が大きく、適切な治療により再発を減らすことができます。
「再発」は、神経症状が悪化して24時間以上持続し、かつ前回の発作との間に1ヶ月以上の安定期があることと定義されます。
二次性進行型
再発寛解型で発症した後、次第に再発がなくなり、症状がゆっくりと進行していくタイプです。発症から10~15年後に移行することが多いとされています。
一次性進行型
発症時から再発や寛解がなく、最初からゆっくりと症状が進行していくタイプです。全体の約10~15%を占めます。
多発性硬化症との向き合い方
日常生活での注意点
感染症の予防
風邪やインフルエンザなどの感染症は再発の誘因となります。手洗い、うがい、予防接種などで感染を予防することが大切です。
ストレス管理
精神的ストレスも再発のリスクを高めます。適度な休息を取り、無理をしないことが重要です。
疲労への対処
疲労は多発性硬化症の主要な症状の一つです。こまめに休息を取り、エネルギーを温存する工夫が必要です。
体温管理
ウートフ徴候により、体温上昇で症状が悪化することがあります。激しい運動や長時間の入浴は避け、夏場は適切に冷房を使用しましょう。
禁煙
喫煙は多発性硬化症の発症リスクを高め、進行を早めることが知られています。禁煙は極めて重要です。
社会復帰と就労
多発性硬化症と診断されても、適切な治療により、多くの患者さんが通常の生活を送ることができます。身体機能に大きな障害がなければ、仕事を続けることも可能です。
職場に病気のことを説明し、理解と協力を得ることが重要です。疲労しやすい、体温上昇で症状が悪化するなどの特性を伝え、必要に応じて勤務形態の調整を相談しましょう。
利用できる公的支援制度
特定医療費(指定難病)助成制度
多発性硬化症は指定難病に指定されており、認定を受けると医療費の自己負担が軽減されます。所得に応じて自己負担上限額が設定されます。
身体障害者手帳
症状の程度により、身体障害者手帳の交付を受けられる場合があります。これにより、税制優遇や公共交通機関の割引などの支援が受けられます。
障害年金
病気により日常生活や就労に支障がある場合、障害年金の受給対象となる可能性があります。
介護保険サービス
40歳以上で、日常生活に介助が必要な場合、介護保険サービスを利用できます。
家族や周囲の方へ
多発性硬化症の患者さんを支える家族や周囲の方へ、いくつかのアドバイスをお伝えします。
病気への理解
多発性硬化症は、見た目にはわかりにくい症状も多い病気です。疲労感やしびれなど、本人にしかわからない辛さがあります。目に見える症状だけでなく、見えない症状にも理解を示すことが大切です。
適度なサポート
過度な介助は患者さんの自立心を損なう可能性があります。できることは自分でやってもらい、困っていることをサポートするバランスが重要です。
コミュニケーション
病気のことを話せる環境を作りましょう。患者さんの不安や悩みに耳を傾け、一緒に解決策を考えることが大切です。
介護者自身のケア
長期にわたる介護は、介護者自身にも大きな負担となります。介護者自身の健康管理も忘れずに、必要に応じて公的サービスや家族のサポートを活用しましょう。
林家こん平さんの娘・咲さんは、父親の介護を続けながら、その経験を発信することで、同じ立場の家族を励まされました。家族の支えは、患者さんにとってかけがえのないものです。

多発性硬化症の研究と未来
多発性硬化症の研究は世界中で活発に行われており、治療法は着実に進歩しています。
新薬の開発
従来の治療薬に加え、より効果的で副作用の少ない新薬の開発が進んでいます。特に、抗体医薬品など、免疫系を精密に調整する薬剤の開発が進展しています。
日本の国立精神・神経医療研究センター(NCNP)では、視神経脊髄炎に対する抗IL-6受容体治療の開発に成功し、2019年に世界最高峰の医学雑誌「ニューイングランド医学雑誌」に論文が掲載されました。
再生医療への期待
神経細胞や髄鞘を再生させる治療法の研究も進められています。iPS細胞などの幹細胞を用いた再生医療は、将来的な治療の選択肢として期待されています。
バイオマーカーの研究
病気の活動性や治療効果を判定できるバイオマーカー(血液や髄液で測定できる指標)の研究も進んでいます。これにより、より個別化された治療が可能になると期待されています。
患者登録システム
日本でも多発性硬化症の患者登録システムが整備されつつあり、長期的なデータ収集により、病気の実態解明と治療法の開発が加速されています。
林家こん平さんが残したもの
林家こん平さんは、病気と闘いながらも、常に前向きな姿勢を崩しませんでした。その姿は、多くの人々に勇気と希望を与えました。
認知度向上への貢献
こん平さんが病気を公表し、自らの経験を発信したことで、日本における多発性硬化症の認知度は大きく向上しました。著書『チャランポラン闘病記』は、患者さんやその家族だけでなく、医療関係者にも読まれ、病気への理解を深める重要な資料となっています。
笑顔の力
「1、2、3、チャラ~ン!」という挨拶は、こん平さんの代名詞でした。病気になっても、その笑顔と明るさは失われることがありませんでした。2015年の『笑点』復帰時、車椅子姿ながら元気に「チャラ~ン!」を披露した姿は、多くの人の心に深く刻まれています。
笑顔には人を元気にする力があります。こん平さんは、自らの笑顔で、同じ病気と闘う人々を励まし続けました。
家族の絆
こん平さんの闘病を支えたのは、家族の存在でした。娘の咲さんをはじめとする家族の献身的な介護と、弟子のたい平さんの師匠への思いは、見る者の心を打ちました。
2016年の『24時間テレビ』で、たい平さんが100kmマラソンのランナーを務めたのは、「師匠を元気づけたい」という思いからでした。師弟の絆、家族の愛情が、こん平さんを支え続けたのです。
諦めない心
高座への復帰を最後まで諦めなかったこん平さん。リハビリを続け、少しずつ言葉を取り戻していく姿は、「諦めない心」の大切さを教えてくれました。
ある落語ファンは、こん平さんについてこう語っています。「高座に復帰しようと師匠は努力をしています。人知れず落語をするより大勢の前でやってほしい。これが落語家の花だと思います」
おわりに
多発性硬化症は、発症すると長期にわたって付き合っていく必要がある難病です。しかし、医学の進歩により、治療の選択肢は確実に増えています。適切な治療とリハビリテーション、そして周囲のサポートがあれば、多くの患者さんが充実した生活を送ることができます。
林家こん平さんは、約16年間の闘病生活の中で、多発性硬化症という病気と真摯に向き合い、その経験を社会に発信し続けました。こん平さんの勇気ある行動は、同じ病気と闘う人々に希望を与え、病気への理解を深めることに大きく貢献しました。
「1、2、3、チャラ~ン!」という明るい挨拶とともに、こん平さんは私たちに大切なことを教えてくれました。それは、困難な状況でも笑顔を忘れず、前向きに生きることの素晴らしさです。
もし多発性硬化症と診断された方、あるいはご家族が診断された方がこの記事を読んでいらっしゃるなら、決して一人ではないことを知ってください。同じ病気と闘う仲間がいます。支えてくれる医療者がいます。そして、日々、より良い治療法を求めて研究を続けている研究者たちがいます。
林家こん平さんが残してくれた勇気と希望のメッセージを胸に、一日一日を大切に生きていきましょう。
参考文献・情報源
- 難病情報センター「多発性硬化症/視神経脊髄炎(指定難病13)」
https://www.nanbyou.or.jp/entry/3806
厚生労働省の委託を受けた公益財団法人による信頼性の高い医療情報サイト - 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)多発性硬化症センター
https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/special/multiple-sclerosis.html
日本における多発性硬化症研究と診療の中心的機関 - 国立精神・神経医療研究センター神経研究所「多発性硬化症とは」
https://www.ncnp.go.jp/nin/guide/r_men/tahatu.html
専門研究機関による詳しい解説 - 日本神経学会「多発性硬化症・視神経脊髄炎スペクトラム障害診療ガイドライン2023」
医学書院、2023年
医療従事者向けの標準的な診療指針 - 林家こん平『チャランポラン闘病記〜多発性硬化症との泣き笑い2000日』
講談社、2010年
患者本人による貴重な闘病記録
【監修について】
本記事は、厚生労働省指定の難病情報センターや国立精神・神経医療研究センターなどの信頼できる医療機関の情報を基に作成しています。ただし、個々の症状や治療方針については、必ず専門医にご相談ください。
監修者医師
高桑 康太 医師
略歴
- 2009年 東京大学医学部医学科卒業
- 2009年 東京逓信病院勤務
- 2012年 東京警察病院勤務
- 2012年 東京大学医学部附属病院勤務
- 2019年 当院治療責任者就任
佐藤 昌樹 医師
保有資格
日本整形外科学会整形外科専門医
略歴
- 2010年 筑波大学医学専門学群医学類卒業
- 2012年 東京大学医学部付属病院勤務
- 2012年 東京逓信病院勤務
- 2013年 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院勤務
- 2015年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院勤務を経て当院勤務